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  • 著者のコラム

韓国語圏フィールドワークの世界 #4

第4回 私の韓国語圏フィールドワーク③:旧ソ連地域

著者 髙木丈也(慶應義塾大学 総合政策学部専任講師)

(前回までの記事はこちら)
第1回 学生との韓国フィールドワーク
第2回 私の韓国語圏フィールドワーク①:アメリカ合衆国
第3回 私の韓国語圏フィールドワーク②:中華人民共和国

こんにちは。今回も世界のコリアンをめぐるフィールドワークについてのコラムが続きます。最終回の今回は旧ソ連地域に住む高麗人の話をしましょう。

もともとロシアの極東(沿海州)地域には、19世紀中盤以降、朝鮮半島からの移住民が居住していました。彼らは主に農業に従事していましたが、日本のスパイと目され、1937年にスターリンによって遠く離れた中央アジアへと強制移住させられます。実に17万人にも及ぶ人々は行先も告げられぬまま汽車に乗せられ、カザフ共和国(現カザフスタン)やウズベク共和国(現ウズベキスタン)といった内陸の自然の厳しい地域に移住させられたのでした。

気候や風土の大きく異なる地での生活は、過酷を極めるものであったに違いありません。しかし、彼らはそのような環境においても見事に農業を成功させ、着実に生活の基盤を築いていきました。そして、のちに彼らの農業生産への貢献は高く評価されることとなり、グラスノスチ*以降は、ソ連内における彼らの名誉や地位も徐々に回復していったのでした。

*ゴルバチョフ政権における情報公開政策。

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▲農業に精を出す高麗人(2019年9月 カザフスタン アルマトイの秋夕祭にて)

さらなる試練

しかし、そんな高麗人にさらなる試練が訪れます。1991年のソ連の解体です。彼らは強制移住させられた地で新たに誕生した国家の少数民族として再編されていくことになります。例えば、カザフスタンでは公用語がカザフ語となり、国民統合の名のもとにカザフ人中心主義が展開していきます。この中で高麗人は再び、マイノリティとしての立場を強く自覚することになるのです。

高麗人にとっての民族語

高麗人にとって民族語は多くの場合、学校教育ではなく家庭の中で継承されてきた言語でした(現地にはやはり中国のような全日制の民族学校はありません)。その変種は1世の出身地である朝鮮半島北部地域の方言をもとにしていますが、2世以降になるとロシア語や現地語の影響も少なからず受けることになります。実際に中年以上の高麗人と朝鮮語で話していると、その口調は北朝鮮の東北方言によく似た、高低アクセントの強いものに聞こえながらも、時にロシア語特有の摩擦音が混ざり、エキゾチックな印象を醸し出します。

ところで、最近はこのような状況にもちょっとした変化が起こっているようです。目下の韓流ブームによって、カザフスタンでも、ウズベキスタンでも(高麗人に限らず)若者を中心にドラマや歌といった韓国の文化を消費する人々が急激に増加しています。そして流行は単なる文化の消費に留まることなく、韓国の言語を学んでみようとする人の増加にもつながっているようです。

そうすると、若者は自然と(大好きなアイドルや歌手が話す)「韓国の言語」を学び、身につけていくことになります。

このような現象は、民族性が低下しつつあった高麗人3~5世の青少年の「祖国」へのアイデンティティを呼び起こすことに一定の貢献をしたといってよいと思います。しかし、それは1・2世の人々が継承してきた北朝鮮の言葉・文化とは異なるソウルのそれを志向するものであり、いわば同質性と異質性が共存する特殊なアイデンティティ構造を生み出す結果となったのでした。

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▲アルマトイで開催された秋夕祭(2019年9月)
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▲ウズベキスタン高麗人の作ったキムチ

韓国の言語進出

このように民族語である「韓国語」を学ぼうとする高麗人が増えた背景には、社会インフラとしての韓国語教育機関の充実も大きな理由としてあげられます。韓国政府は2000年代初頭から「韓国語の世界化」を目的に世界各国で韓国語教育機関の設置・運営支援を行ってきました(それは現在も進行中です)。その中で高麗人などの在外同胞の多い地域には特に積極的に予算を投下し、彼らの言語学習、就職支援を行ってきたのです。さらにウズベキスタンにいたっては、現地教育省と韓国教育部が共同で初中等教育の韓国語教科書の作成を行っており、韓国語、韓国文化を浸透させることに成功してきました。

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▲ウズベキスタンの韓国語教育機関

こうした対外言語政策は単に外国語学習者数といった数値にだけ現れるものだとは考えられません。中長期的な視点で見たときに広義での「韓国ファン」を増やすことに繋がると考えられるためです。
 
彼らは、Kカルチャーを楽しみながらも、韓国語を身につけ、さらには韓国の商品を消費し、いつかは韓国を訪れることを夢見ることでしょう。さらには、将来的には韓国の企業で働いたり、自国に韓国企業を招致する役割を担う可能性すら秘めています。このような国家による第三国での言語政策は、「言語」という枠を超えて、自国の位相を高めるのに非常に重要な役割を果たすものと考えられます。韓流の裏で起こっている韓国による言語進出はあまり知られていませんが、ぜひ注視していきたいと思います。

おわりに

これまで4回にわたって私の教育や研究、フィールドワークに関する話をさせていただきました。私は大学で世界のコリアンに関する講義を担当しているのですが、そこでは文献の紹介だけではなく、私が実際に現地で撮った写真や動画をできるだけ多く見せて、1つでも多くのことを感じてもらうよう努力しています。
 
このコラムでは紙幅の関係で、そうした目標を十分に達成することはできなかったのですが、私がいくつかの国や地域で見てきたことから、少しでも何かを考えるきっかけを提供できたなら幸いです。
 
毎回、お伝えしたいことが多すぎて、いつもよりやや長めの文章になってしまいましたが、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
 
またどこかでお目にかかれる日を楽しみにしています。


記事を書いた人:髙木丈也(たかぎ・たけや)
慶應義塾大学 総合政策学部 専任講師。東京大学大学院 人文社会系研究科 博士課程修了(博士(文学))。専門は韓国語学、方言学、談話分析。著書に『ダイアローグで身につける 韓国語の言い回し・慣用表現350』(共著、ベレ出版)、『そこまで知ってる!?ネイティブも驚く韓国語表現300』(単著、アルク)、『日本語と朝鮮語の談話における文末形式と機能の関係―中途終了発話文の出現を中心に―』(単著、三元社)、『中国朝鮮族の言語使用と意識』(単著、くろしお出版)、『ハングル ハングルⅠ』『ハングルハングルⅡ』(共著、朝日出版社)など。2019年4月より『まいにちハングル講座』(NHK出版)に「目指せ、ハングル検定!~合格への道~」を連載中。

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