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言葉が増えれば世界も広がる —私が多言語に携わることとなったのは #4

第四回:多言語を通して見えてくる文化

著者 青木隆浩

(前回までの記事はこちら)
第一回:私を魅了した中国語
第二回:スピーチコンテストへの挑戦
第三回:多言語を学ぶ上で大切なこと

1.言語から文化を知る

みなさん、こんにちは。今回は多言語を学ぶことで見えてくる文化や歴史的背景についてお話いたします。

私はこれまでに中国語、韓国語、モンゴル語、ロシア語などを学んだことがあります。これらの言葉が話されている国は互いに国境を接していることから、それぞれの言語を比較したり、その変遷をたどったりしていくことで、相互の関係が見えてくることもあります。

まず、単独の言語の話から始めましょう。
各言語の語彙から、その民族が歩んできた歴史や生活、文化を垣間見ることができます。「言葉は文化を反映する」と言われる所以ですね。例えば、モンゴル語は家畜に関する語彙が豊富で、雄か雌か、または成長段階によって区別します。また、「鳴く」という動詞にしても、犬が鳴く場合は “хуцах”(ホツァフ)、馬は“янцгаах”(ヤンツガーフ)、牛は “мөөрөх”(ムールフ)、ラクダは “буйлах”(ボイラフ)、羊は “майлах”(マェラフ)といったように家畜ごとに区別します。これらの単語のいくつかは家畜の鳴き声から来ているのかもしれません。牛の“мөөрөх”(ムールフ)は「モー」、羊の“майлах”(マェラフ)は「メー」に通ずるものがありますね。

2.他言語とのかかわり

次に、言語と近隣諸国との関係について見ていきましょう。
モンゴルは歴史的には中国と、支配したり支配されたりを繰り返してきました。また、1920年代から90年代初頭までの社会主義時代はソ連の強い影響下にあったことから、モンゴル語の中には中国語やロシア語から取り入れた言葉も多く存在します。いわゆる「文明」や「先進技術」に関する語彙にその傾向が強く見られ、例えば、 “индүү”(インドゥー:アイロン)、“багш”(バグシ:先生) はそれぞれ中国語の “熨斗yùndǒu(ユンドウ)”、“博士bóshì(ボーシー)” に由来します。中には清朝時代の言葉で現代中国語では使われない単語もあります。いずれの単語ももはや中国語由来ということを意識する人はいないほど、モンゴル語の中に深く溶け込んでいます。ロシア語由来の単語には “билет”(ビレートゥ:チケット)、“вино”(ヴィノー:ワイン)、“телевиз”(テレビーズ:テレビ)などがあります。しかし近年、ロシア語由来の単語をモンゴル語本来の単語に置き換える動きが高まってきており、若い人を中心に“тасалбар”(タサルバル:券)、“дарс”(ダルス:ワイン)、“зурагт”(ゾラクト:テレビ)といった言い方が浸透してきています。興味深いのは、中国語由来の単語よりロシア語由来の方が置き換えられやすいということです。ロシア語からの導入が比較的新しく、外来語のイメージがより強いからかもしれません。

モンゴルではわずか十数年でこのような変化が目に付くようになりました。特に、現代社会においてはメディアの力が非常に大きく、言葉の移り変わりの速さにはいつも驚かされます。日本でもかつての「スチュワーデス」「婦警」が「キャビンアテンダント」「女性警察官」に置き換わり、今や当たり前のように定着しています。最近ではウクライナの地名(「キエフ」→「キーウ」)のようにロシア語読みからウクライナ語読みになったことなども挙げられます。

ただし、モンゴルで使われる文字については30年代にソ連の主導により、伝統的なモンゴル文字がロシア語と同じキリル文字に置き換えられ、現在でも使われ続けています。そのため、現在ではモンゴル文字を自由に読める人はほとんどいません。文字を切り替えたことでチンギス・ハーンの時代から蓄積されてきた数多くの文献を読むことが困難となり、「民族文化の分断」につながっています。

ちなみに、中国の内モンゴル自治区では、現在でもモンゴル文字が使われています。

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内モンゴルのモンゴル族学校の校門。中国語とモンゴル語で「フフホト市モンゴル族学校」と書かれ、モンゴル語で授業が受けられる。
(この文字をキリル文字にすると “Хөххотын Монгол Үндэстний Сургууль” となる)
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内モンゴルの街中の看板。中国語とモンゴル語の2言語で表記することが義務付けられている。

3.言葉を意図的に変えるということ

政府の主導で言語改革が行われた言語の例として、韓国語についても見てみましょう。
韓国は元々漢字文化圏であることから、韓国語には多くの漢字語が残っています。その中には中国語から取り入れたものもあれば、日本植民地時代に日本語から取り入れたものもあります。戦後は民族文化振興の一環として漢字が廃止され、原則としてハングルのみで表記するようになりました。日本人だと、すべてひらがなで書かれた文章をイメージするとわかりやすいかもしれません。例えば“사상”(ササン)と発音する漢字語には「史上」「思想」「事象」といった言葉がありますが、どの意味で使われているのかは文脈から判断するほかなく、読んでいて戸惑うこともあります。実際に私は以前、韓国の著名人の経歴を紹介した文章の中で “지사”(チサ)という言葉が出てきた時、前に地名が付いていたことから「~支社」だと思って読み進めたのですが、途中でつじつまが合わなくなってきて、実は同じ発音の「~知事」だったということがありました。

また、近年では「日本植民地支配の影響からの脱却」として、漢字に由来する単語を排除し韓国語固有の表現に置き換える動きがみられます。例えば、 “출구”(出口)を “나가는 곳”(でていくところ)、 “우측통행”(右側通行)を “오른쪽 걷기”(みぎがわあるくこと)、 “작자”(作者)を “글쓴이”(かきて)といった具合です。もちろん漢字語の中には中国由来の言葉もあるのですが、それらも含めて使用を避ける傾向にあるようです。

言葉は単なる意思疎通の「ツール」だけでなく民族の「アイデンティティ」としての側面も持っているため、政治的要因で「変えていく」場合もあるのですね。

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韓国の街中の看板
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韓国の日本家屋。植民地時代に建てられたもので、保存状態が良く文化財に指定されている。
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縁側の様子。韓国にいることを忘れさせられる。


いかがでしたでしょうか。外国語を覚えて使うということは、より多くの人とつながるための「パスポート」であるとともに、その言語の背景にある歴史や文化を知ることでもあります。ひいては、相手の「アイデンティティ」を尊重し、敬意を払う姿勢でもあります。
不穏な世界情勢が続く昨今ですが、このような時代だからこそ、一人でも多くの方が異なる言語や文化を学び、理解し合えることを願ってやみません。


記事を書いた人:青木隆浩(あおき・たかひろ) 
東京外国語大学大学院にて博士号取得。北京語言大学に3年間留学。桜美林大学孔子学院講師。高校在学中に日中友好協会主催のスピーチコンテスト全国大会で優勝。また、中国政府主催の漢語橋世界大学生中国語コンテスト世界大会で最優秀スピーチ賞受賞。さらに、モンゴル国政府主催の若手モンゴル研究者プレゼンテーションコンテストにて優勝。
全国通訳案内士(中国語、韓国語、英語)、日本語教師などの資格を持つ。
著書に『ひとりで学べる中国語 基礎文法をひととおり』(共著、ベレ出版)、『基礎から学ぶ 中国語発音レッスン』(ベレ出版)、『マンガで身につく!中国語』(共著、ナツメ社)などがある。

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