2024.09.23 社長コラム おじいさんのランプ 「オワコン」という言葉があります。「時代遅れの、もはや“終わった”コンテンツ」という意味だと思いますが、個人的には好きな言葉ではありません。「オワコン」であることが仮に事実だとしても、それは少し前までは必要とされていたコンテンツなわけです。「オワコン」というレッテルを張ることで、過去の実績や、コンテンツに愛着を持っていた人を蔑ろにしているようで、なんとなく気に入らないと思ってしまいます。 さて、書籍や新聞も、一部で「オワコン」扱いされることがあります。個人的な好き嫌いは一旦脇に置いて、そう思われかねない危機的状況になっていることは重く受け止めなくてはいけません。と言っても、書籍はまだ「終わってはいない」と思いますけどね。熱心なファンもいますし、書籍があること(書籍を読むこと)で人々の役に立つ場面はまだまだ多いと思っています。ただ、書店数は年々減少していますし、スキマ時間はスマートフォンの閲覧やゲームに奪われています。そういった状況で、書籍を読む人、書籍を読むための時間が減少していることは事実かもしれません。 先日、旅行中にたまたま訪問したブックカフェ(古本屋&カフェ)で、新見南吉の『おじいさんのランプ』という小説が置いてあったので読んでみました。ネタバレになりますが、簡単にあらすじを紹介します。 明治の頃、ある貧しい少年が隣町でランプ売りに出会い、これを自身の商売にすることを決意します。ランプは町の人に大変喜ばれ、商売は成功を納めます。しかし、少年が大人になり家庭を持った頃、電燈が登場します。「このままではランプが電燈に取って代わられてしまう」と危機感を持った男(かつての少年)は、町への電燈の導入をなんとか食い止めようとするのですが……。 この話で、ランプは電燈の登場でまさに「オワコン」となったわけです。その後、男は自分の商売を守るために世の中が進歩することを食い止めようとしたのは間違いだったと悟ります。 世の中が進んで、古いしょうばいがいらなくなれば、男らしく、すっぱりそのしょうばいは棄てて、世の中のためになる新しいしょうばいにかわろうじゃないか。 青空文庫で公開されている『新美南吉童話集』より抜粋https://www.aozora.gr.jp/cards/000121/files/635_14853.html 書籍は「オワコン」ではないと確信しつつも「オワコン」に敏感な今日この頃、思わずウームと唸ってしまう話でした。自分の商売を守りたい気持ちを持つのは当然です。社員やその家族の生活を守らなければいけませんし、取引先への責任もあります。しかし、もしもいずれ、自分の商売が世の中のためにならなくなったのなら、すっぱり諦めるというのも英断なのかも……。うーむ。 まずは「自分の仕事は、本当に世の中の役に立たなくなったのか?」を突き詰めて考えるのが先決です。「自分の商売や商品の、どの部分が時代に求められなくなり、どの部分は今も必要とされているのか」を正確に認識して、必要とされている部分を伸ばしていけば、「オワコン」にはなりません。 書籍は、今でも有益なメディアだと考えています。手軽で安価に、信頼度の高い情報が得られ、プロによる編集がなされ、一定の読みやすさも担保されます。また、世の中には、さまざまな問題が山積しています。書籍には、そういった諸問題を解決できるヒントを用意できる可能性があります。それができれば、間違いなく人々に喜ばれるはずです。 ランプもノスタルジックでいい調度品になりえますが、書籍はそういったアンティークとしての価値ではなく、実際に役に立つ実用的価値を認められた上で、引き続き商売にしていければと思います。これまで以上に、世の中の役に立つことを意識した書籍を生み出していかないといけないなぁと、旅行中に考えさせられたのでした。 ちなみに、このお話の最後で、男はランプ屋を辞めて、本屋を始めるのでした。本屋ももちろん、これから先も世の中に必要な存在であり続けるものと私は思っています。