- 著者のコラム
ブラジル・ポルトガル語に魅せられて #4

コロンビア情勢
著者 田町 崎(たまち さき)
(前回までの記事はこちら) #1 ブラジル・ポルトガル語を学び始めた経緯 #2 日系ブラジル人について #3 ベネズエラ情勢 |
今こそアメリカは麻薬カルテルに戦争を仕掛ける時だ
「私たちの国は麻薬やその他の犯罪によって内部から汚染されている。麻薬カルテルはアメリカで戦争を仕掛けている。今こそアメリカは麻薬カルテルに戦争を仕掛ける時だ」――麻薬問題に強い危機感を持ち、ドナルド・トランプはビデオ演説で暗躍する麻薬カルテルに対する自らの考えをこのように述べました。

「我々は麻薬カルテルに容赦はしない(We will show no mercy on the cartels)」――トランプは麻薬カルテルを敵対視し、バイデン政権下で起きてきた麻薬の蔓延を根絶していくと宣言しました。「すぐに何かをしなければ、私たちの国はなくなってしまう」とし、早急の対策を講じていく必要性を表明しています。
Trump Accuses Biden Of 'Deadly Betrayal Of Our Nation,' Details 'War' Plan Against Drug Cartels
アメリカで急増している薬物関連死
2025年1月に大統領に就任するドナルド・トランプがこのように表現した通り、近年、アメリカの麻薬問題は悪化の一途を辿り続けています。これに関し、次の表をご確認ください。
アメリカにおける薬物に関連した年間死亡者数

補足:この薬物関連の死者数を激増させたと言われているものが、近年、ストリートで出回っている合成麻薬「フェンタニル」です。メキシコのカルテルが中国から原材料を調達して製造していると見られており、「輸出の規制をしてこなかった」としてトランプ大統領は何度となく中国政府を批判しています。
表は、米国国立薬物乱用研究所[1]が公表しているアメリカ国内における薬物に関連した死者数の年次推移です。この数値を見てわかる通り、アメリカ国内における薬物関連での死亡者数は急増しているのです。1999年に2万に満たなかった数値は、2015年には1999年比の2倍以上に増加。2022年にはついに10万人を超えたと算定されているのです。これは深刻な状況です。薬物の過剰摂取で命を落とす人がアメリカ国内で一日平均300人を超えているのです。
コロンビアのコカイン対策とは
では、このうちコカイン対策についてはどのように行われているのでしょうか。実は、コカインに関しては、コロンビア、ペルー、ボリビアで生産されていることが長く知られています[2]。そこで今回の記事では、現在までに至るまでのコロンビアの対策に巡る経緯について、同国の大統領4名を交えてざっとお伝えしていきたいと思います。

コロンビア人。メデジン・カルテルの創設者で「麻薬王」として世界に知られた人物です。アメリカのコカインブーム(1980年代)、クラックブーム(1980年代後半)に乗り、麻薬の密売ビジネスで大成功を収め、同組織を世界最大級の麻薬密売組織にまで急成長させました。 目的のためなら手段を選ばない強引さでも知られ、「法務大臣爆殺事件(1984年)」、「コロンビア最高裁占拠事件(1985年)」、「DASビル爆破事件(1989年)」、「アビアンカ航空203便爆破事件(1989年)」などの事件を次々と引き起こし、軍、警察、政府、法曹関係者を震え上がらせました。しかし、最後はアメリカ政府、メキシコ政府の両方から追いつめられ、銃撃戦の果てに44才で殺害されてしまいます。
President Bush Speech on Drugs/Democratic Response of Drug Strategy by Senator Biden

麻薬問題は長らくアメリカ合衆国を蝕む大問題の一つです。 「これは、数日前、ホワイトハウスのすぐ向かいの公園で麻薬取締官によって押収されたクラック・コカインだ」、「キャンディーのようで何の変哲もない見た目だが、我々の街を戦闘地帯に変えている」――1989年、ジョージ・H.W.ブッシュ大統領は、大統領執務室で当時大流行したクラックを片手にテレビ演説を行い、麻薬の蔓延について国民に対し警鐘を鳴らしました[3]。

アルバロ・ウリベ大統領(2002年-2010年)
コロンビアで麻薬密売活動をする違法武装組織を弱体化させたのはアルバロ・ウリベ大統領だと言われています。自身の父親をゲリラ組織に殺害されたウリベは、アメリカ政府と協力し、軍事作戦を展開。FARC、ELNといった主要な違法武装勢力との戦いに挑みました。
この結果、政府はFARC、ELNともに壊滅的なダメージを負わせ、それぞれの構成員を半分以下にまで激減させました。一方で、この掃討作戦により巻き添えとなって亡くなった民間人は6,400名を超えるとも言われています。

コロンビアのゲリラ組織に対して猛然と戦いを挑んでいったタカ派の政治家です。アメリカ政府と協力して行ったゲリラ掃討作戦で、FARC、ELNを弱体化させました。ベネズエラのチャベス大統領とは麻薬問題を巡って何度も衝突したことで知られる政治家でもあります。
フアン・サントス大統領(2010年-2018年)
サントス大統領は、前任のウリベとは対照的に、弱体化していったゲリラ組織に手を差し伸べ、対話していくことを実践しました。コロンビア議会内での議席を保証するなど、国内テロ活動に関与したとされるFARCメンバーに対し、議論を呼ぶ大きな「譲歩」を提示して、FARCの停戦合意を実現させました。

ゲリラ組織FARCはコロンビア政府と和平協定を結び、国連の仲介の下、武装解除として8,000を超える武器を国連に引き渡しました。この武装解除は「コロンビア内戦の終結」をシンボライズするものとしてメディアによって大々的に報道されました。しかし、後任のドゥケ大統領下でコロンビアの治安情勢は一変してしまうのです。
イヴァン・ドゥケ大統領(2018年-2022年)
イヴァン・ドゥケは、FARCに対して強い反感を持つ国民感情の後押しを受けて選出された大統領です。ドゥケの主張は、前任サントス大統領が行ってきた和平プロセスの見直し、ならびにFARCが武装解除前に行ってきた犯罪について再調査するというものでした。特に、彼はFARCに対してサントス大統領が行った譲歩案(恩赦、減刑など)については納得していませんでした。
ところがです。彼の強硬な姿勢はゲリラ組織の反感を買ってしまいます。和平合意にも参加したFARCの元幹部の一人がYouTubeを通じて政府に対する不満を表明し、「戦闘を再開する」と宣言。治安情勢は再び悪化していき、国内テロが頻発していくこととなったのです。これにより、サントス大統領が見せた国内治安の和平ムードはドゥケ政権下で一気に消し飛んでしまいました。

ゲリラ組織に対し、強硬な姿勢を崩すことがなかった政治家です。ELNが2021年に警察学校での爆破事件を起こしたことで、ドゥケはゲリラ組織との和平交渉をすべて打ち切ってしまいます。これ以降、コロンビア国内ではテロが頻発していくこととなったのです。
グスタボ・ペトロ大統領(2022年-)
グスタボ・ペトロはコロンビア史上初となる左派の大統領です。
コカイン対策に関しては、大統領就任直後から「我々は過去50年間、『麻薬戦争』と呼ばれるものに失敗してきた」と発言。アメリカ政府と従来推し進めてきた政策の方向転換をさせてしまいます。具体的にはコカ畑の強制駆除の中止です。「効果が出てこなかった」と判断し、除草剤グリフォサートを使って根絶やしにしてきたコカ畑の強制駆除プログラムをやめてしまったのです。

ペトロは大統領にまで上りつめましたが、実は、元々は左翼ゲリラ組織M-19の幹部なのです。ゲリラ組織との停戦交渉を続け、さらには国際的に孤立しているマドゥーロに手を差し伸べベネズエラとの国交を回復させるなど、従来の政権とは一線を画した政策を行う政治家です。
この結果、コカ畑は急拡大。コロンビアにおけるコカイン畑の総面積は2020年の14万3,000ヘクタールから2022年には23万ヘクタール、コカイン生産量に至っては2020年の1,228トンから2022年には1,738トンへと、それぞれ急増してしまったのです[5]。
ペトロ、ならびに以降のコロンビア大統領は、同国のコカイン問題の悪化を食い止め、改善させていくことができるのでしょうか。
補足:エクアドルの治安悪化について
世界はつながっており、何らかの形で国同士が互いに影響しあっています。それは南北アメリカ大陸でも然りです。アメリカ/コロンビアで悪化の一途を辿っている麻薬問題は、実は、エクアドルと大いに関連しているのではないかと私は考えています。そのため、ここでは補足としてエクアドルについてもざっと述べていきたいと思います。
エクアドル領内にあった駐留米軍の意義とは
麻薬問題がここまでの拡がりを見せた原因として、近年よく指摘されるようになっているのがエクアドル領内にあるマンタ空港における「駐留米軍の撤退」です。これは2009年に行われました。
では、なぜこれが麻薬問題と関係があるかというと、マンタ基地に駐留していた米空軍はコカインの密輸を阻止するために周辺空域と海域をパトロールしていたのです。しかし、時のエクアドル大統領ラファエル・コレアはこの存在を良しとせず、駐留米軍をエクアドル領内から引き揚げさせてしまいました。これが南北アメリカ地域の麻薬問題の悪化につながったとする見解があるのです。
では、なぜなのでしょうか。コレア大統領はなぜ駐留米軍を撤退させてしまったのでしょうか。本記事ではこれに関し、以下で2点、その理由を紹介していきたいと思います。
エクアドル国内で根強く残るアメリカに対する強い反感
1点目は、エクアドル国内で根強く残るアメリカに対する強い反感です。一つ具体例を挙げると、エクアドルの奥地で起こされてきた原油の流出です。この環境汚染が起きた周辺エリアでは、先住民グループの間で癌に苦しみ死亡したり、奇形児が出産されたりといった事例が相次いで報告されるようになりました。当然、先住民たちは原油流出について憤怒。原油の開発に関わった企業にその補償を求めました。
この原油流出に関わったとされるのがアメリカ石油企業テキサコ(現在のシェブロン)です。彼らはエクアドルの熱帯雨林に有害廃水を大量に投棄したとされています。
のち、犠牲となった先住民の命、健康被害、環境汚染の事実はメディアによって大々的に報道され、多くの人々に知られることとなりました。結果、エクアドル国内における強い反米感情が醸成されていき、駐留米軍の撤退を推し進めたラファエル・コレアの判断を後押しする一因となったのです。

このドキュメンタリーは奇形児や癌で苦しむ人々の姿を扱っており、あまりにもショッキングな映像の数々に多くのオーディエンスは胸をえぐられる思いで視聴することとなるでしょう。この問題で、裁判所はテキサコに対し86億米ドルの賠償支払いを命じる判決を下しています[6] 。
駐留米軍が行った除草剤「グリフォサート」の空中散布にコレアは激怒
2点目は、マンタ空港の駐留米軍が行った活動です。駐留米軍はコロンビアとの共同作戦でコカイン撲滅を目的として除草剤「グリフォサート」をコロンビア国境で空中散布していたのです。エクアドル領内の人々の健康にも悪影響を及ぼしかねないこの活動にもコレアは激怒。米軍の駐留協定を更新しない決断を下したのです。

就任当初は反米姿勢を前面に押し出しエクアドルで人気を誇った政治家でしたが、汚職の罪に問われ、現在はベルギーに亡命しています。
急速に悪化してしまったエクアドルの治安情勢
マンタ空港からの米空軍の撤退は、結果として、エクアドルに甚大な悪影響を及ぼすこととなりました。麻薬対策としてパトロールを担っていた米軍が取り除かれたことで、エクアドル領内における麻薬密売組織の活動が活発化してしまったのです。さらに、のちFARCが武装解除したことで、周辺エリアのパワーバランスが崩れ、コロンビア、メキシコ、アルバニアで活動する麻薬密売組織までもがエクアドル領内に流入していくこととなったのです。
コロナショック(2020年)を経て、麻薬密売組織の動きはエクアドルの治安を大きく悪化させてしまいます。麻薬密売組織間でのテリトリー争いが激化し、国内は大混乱。政府は非常事態宣言を何度も出して軍隊を市街地に投入しますが、2021年以降、悪化してしまった治安は現在に至ってもなお改善を見せていない状況です。
南北アメリカで蔓延る麻薬問題、悪化し続ける治安――これら諸問題を解決していくためには、各国それぞれの対策が必要なのでしょう。また、これのみならず、撤退してしまった米軍をマンタ空軍基地に再び呼び寄せることがやはり必要となってくるのかもしれません。
最終回となる本コラムはこれで以上です。読者の皆様、最後までお付き合いくださり、誠にありがとうございました。
ひょんなことから出会えたブラジル・ポルトガル語。思いもよらず巡り会えたスペイン語。いつの間にか夢中にさせられてしまった中米/南米の報道記事――これらすべてが本企画につながる「橋渡し役」となってくれたのではないかと感じております。引き続き、不器用ながらではありますが、丹精を込めてテキストを作ってまいりますので、今後ともみなさまどうか何卒宜しくお願い致します。
寒くなってまいりました。年がら年中風邪をひき、頻繁に寝込んでいる虚弱体質の私が言えることではございませんが、ご無理なさらず、お体には十分お気をつけくださいませ。それではまたみなさまにお会いさせて頂ける日を楽しみにしております。
☕気分転換の音楽☕
私は音楽が大好きです。国/性別/ジャンル問わず聞いています。以下、気分転換の際にでも聞いてもらえると嬉しいです。
Marília Mendonça(マリリア・メンドンサ)
飛行機事故により26才の若さで亡くなった「苦悩の歌姫」
出 身:ゴイアス(ブラジル)
曲 名:Todo Mundo Vai Sofrer (2019年)
ジャンル:カントリー、セルタネージャ
こんなアーティストが好きな人におすすめ:Paula Fernandes、Adele
補足
アリサ・フランクリン、セリーヌ・ディオン、シーナ・イーストン、マライア・キャリー、シンディ・ローパー、ホイットニー・ヒューストン、ビヨンセ、アリシア・キーズ、エイミー・ワインハウス、アデル――数え上げればキリがないほど素晴らしいディーヴァたちに私は魅了されてきました。彼女も勿論その一人です。オーディエンスの胸を鷲掴みにした、彼女のこの素晴らしいパフォーマンスを私は絶対に忘れることはないでしょう。ネットでパワフルに生き続ける彼女の歌をこれからも何度も何度も聞きに来たいと思っています。
習得に苦しんできた自身の経緯から、ブラジル・ポルトガル語の学習で苦悩する方々の気持ちは痛いほどにわかります。今回は御縁に恵まれ、ベレ出版にてブラジル・ポルトガル語の語学書を出す運びとなりましたが、この語学書はそういった方々に対し、少なからずのお役立てができればという思いを込め作成したものです。内容につき、書店等で手に取ってご覧いただけると嬉しいです。
また、ブラジル・ポルトガル語は「あらたな外国語にチャレンジしてみたい」と考える方にとっても、おすすめです。あまり知られてはいませんが、ブラジル・ポルトガル語は文法構造上、英語と似通った点が多く、英語を学んできた方にとっては非常に学びやすい言語です。英語の知識を活かして、ブラジル・ポルトガル語にチャレンジしてみてはいかがでしょうか。このnoteの記事がそのきっかけになれるのであれば大変嬉しく思います。
この記事を書いた人:田町 崎(たまち さき)
翻訳者。
南山大学経済学部経済学科卒業後、人材派遣会社で日系ブラジル人たちとともに働く。これがきっかけとなりブラジル・ポルトガル語の勉強を始め、のち、市役所/警察/病院などで翻訳と通訳を経験。その後、京都外国語大学でブラジル・ポルトガル語を専攻し同大学院修士課程を修了。院生時には外務省留学プログラムに参加し、メキシコシティにあるメキシコ国立自治大学(UNAM)でスペイン語を約1年学ぶ。海外メディア報道を通じて主には中米/南米の情勢を研究している。