検索
  • 著者のコラム

映画字幕の舞台裏はこんなに楽しい!-9-

第9回 フランス人と庶民性と宗教

著者 吉田 泉(仏文学者)

フランスのクリスマスは荘厳

またまたお会いしましたね。あなたは映画が好きですか?
こんなセリフでお話ししたのは2年ほど前でした。決まり文句ながら、月日のたつのは早い!
 
もう12月ですね。これも早い。12月といえばクリスマス、クリスマスといえばやはり連想がいくのはキリスト教です。キリスト教といえばカトリック、カトリックと言えばやはりフランスでしょうか(フランス人は7割がカトリック)。
 
フランスに一定の期間滞在した多くの日本人が感じるのは、パリにとどまらず、例えば多くのフランスの地方の町や街でも、圧倒的な教会の多さであり、またそのたたずまいや内部の荘厳さでしょう。クリスマス時のパリなどは日本とは全く異なり、街全体が荘厳そのものです。
 
フランス人を語る場合、彼らの宗教を抜きにしては語れないのではないかとの感想から、この文章を始めています。
 
とはいえ、私はクリスチャンでも、宗教の専門家でもないので、あくまでもフランス映画を通じてのおおまかな随想ということになりそうです。

映画『北ホテル』を御存じですか?

さて、久しぶりでお話しする今回のフランス映画は『北ホテル』(1938年マルセル・カルネ監督)です。元々はウジェーヌ・ダビの小説(1929年)を映画化したもので、小説の映画化で成功した例は映画史上余りないと思いますが、これはどうやら例外に当たるようです(『太陽がいっぱい』も成功例でしょう)。
 
まず『北ホテル』は製作年代の古さから、ま、いいわ、とパスされる読者もいると思われますが、まあ待ってください。私はこのような古いフランス映画がいかにフランス人の根っこのところに結びついているかを知るには、一番の近道ではないかと思っています。 

北ホテル HDマスター マルセル・カルネ [DVD]www.amazon.co.jp

サン・マルタン運河は散歩の名所

『北ホテル』は実在のパリのプチホテルである北ホテル(Hôtel du Nord)が舞台です。パリとは思えない静かなサン・マルタン運河界隈にある、極めて庶民的なホテル(民宿?)であり、様々な人生を背負った人物たちが常住しています。この地域は私も留学中に何度も散歩にでかけたものです。その時にもホテルは現存していました。ホテル客の誰かがそっと窓の洗濯ものをとりこむのを目撃したこともありました。

初聖体拝領は七五三?

映画の冒頭はこのホテルの小さな食堂にひしめき合っている宴会の場面です。でもこれがすでにして、宗教的行事なのです。居住者のひとりである、ある役人の娘の初聖体拝領のお祝いなのです。この様子はもうホテル住人たちが大きな家族のごときものであると同時に、初の聖体拝領とはこんなにもフランス人にとって大切な行事なんだな、と痛感させられる場面です。これは今日までも続いています。日本でいえば七五三?
 
ふと雷が鳴り、別の小さな子がホテルのおかみさんに抱きついていきます。誰か住人がそれを揶揄すると、おかみさんは「この子は雷を聞くと施設を思い出すんだよ」と返し、この子がここに貰われてきた子だということも分かります。

フランス人の庶民性

私は最初にこの映画の字幕を付け始めた時点では、この庶民性が理解しにくかったのですが、しかし今翻って考えてみると、おかみさんに見るこの庶民性こそが、またそのバックボーンにある精神性または宗教性こそが、長い間フランスの根幹をなしていたのではないかとの思いに誘われます。そうです、フランス人には我々現代日本人が彼らに対して持つイメージとはかなり違う一面があります。
 
このホテルにはその晩、若いカップルが投宿し、夜中にピストルで心中を図ります。女性(ルネ)は男性(ピエール)に撃たれ、男性は恐くなってその場から逃亡します。この部分だけ少し早送りすると、ルネは一命を取り留め、退院してからやはりおかみさんの提案で、このホテルでメイドとして働き始めます。これもまた人助け…です。

そして恋の情熱も

小品ながら、マルセル・カルネ監督のこの名作は、同時進行する人生模様を描きます。娼婦レイモンドとそのヒモであるエドモンも同じくホテルの住人ですが、エドモンがルネに恋をし、レイモンドと縁を切ってしまいます。レイモンドを往年の名優アルレッテイ、エドモンをこれまた渋い年まわりのルイ・ジューヴェが演じていてリアリティたっぷりです。

画像
マルセル・カルネ監督
Studio Harcourt - RMN, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=89174737による

逮捕された刑務所にピエールを接見しにいったルネは、すげなく返されて自棄をおこし、何と中年のエドモンを誘って逃避行に及びます。彼らはマルセイユまで行き、アフリカ行きの船に乗ります。しかし最後の最後になって、若い女性のルネは怖じ気づき、その不安を口にします。すると、うすうすそのことを感じていたエドモンが言います、「シロッコが吹いてくるのを感じたのかい…」。ルネはついにエドモンのもとから逃げ出します。

画像
アルレッティ
Studio Harcourt - RMN, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=76207094による
画像
ルイ・ジューヴェ
Studio Harcourt - RMN, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=89174737による

シロッコの象徴するもの

「シロッコ」とはサハラ砂漠から地中海に吹いてくる乾燥した風のことです。砂漠はそれほどにフランスにも近いのですね。エドモンのセリフにつけた私の字幕は「砂漠の風に吹かれたか」でした。
 
誰でも砂漠の風に吹かれて情熱に翻弄されることがあるんだ、そしてそれに気づくんだ、というメッセージを感じました。このホテルでは他にも浮気する若妻、エドモンを捜索する暗黒街のギャング…などが登場しますが、群像の中心にはホテルがあり、おかみさんの慈愛がすべての人間関係を支えています。

人間模様のリアル

ルネはパリにもどり、そして出所したピエールとよりを戻し、これまたパリにもどったエドモンは自ら進んで追手の手にかかって撃たれてしまいます。その夜はクリスマスではなくパリ祭でしたが、いろいろな事件にもかかわらず、ホテルの夜は明けて、また陽が昇ります。
 
人間はシロッコに吹かれることもあるが、若者(女性)は若者(男性)のもとに戻り、追われる者は追う者に殺され、これがこの世の現実だとこの映画はいっているようです。

フランス人の二面性

それでも人々が平穏な日々を続けられるのはたぶん庶民たちの持つ慈愛のおかげなのでしょう。「シロッコ」とは熱情の象徴であり、革命や恋の物語りに彩られたフランスであり、しかし一方フランス人の根底には時には泥臭く思える庶民性や宗教的な哲学の部分が厳然としてあるように感じます。この映画はそれを具現化しています。

画像

フランス人と神…

若い時によく話し合っていたあるフランス人が私にこう言ったのをよく覚えています。「フランス人と他の人間との関係は、必ずそのフランス人と神との関係が根底にあるんだ」と。
 
私には長い間謎の言葉ですが、進みゆく我が年齢のこともあり、また映画『北ホテル』を思い出すにつけ、その一端でもが分かったか、とも思います。
 
次回はエンタ中心に『大いなる幻影 La Grande Illusion』(1937年ジャン・ルノワール監督)のお話を予定しています。どうぞお楽しみに。


この記事を書いた人:吉田 泉(よしだ いずみ)
富山県生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。
パリ第3大学大学院留学文学修士取得。
東京大学大学院仏文学専門課程博士課程修了。
立教大学、日本女子大学講師を経て高岡法科大学助教授。後に教授。
現在、富山県芸術文化協会名誉会長を務める。
NHKテレビ『世界名画劇場』にてフランス映画の字幕翻訳を長年担当。主なものとして「巴里の空の下セーヌは流れる」「北ホテル」「死刑台のエレベーター」「太陽がいっぱい」「恐怖の報酬」「かくも長き不在」など。

学びたい人応援マガジン『まなマガ』

ベレ出版の新刊情報だけでなく、
「学び」に役立つさまざまな情報を月2回お届けします。

登録はこちら

ベレ出版公式SNS

週間ランキング情報やおすすめ書籍、書店様情報など
お知らせしています。ベレ出版マスコット犬「なみへいさん」の
LINEスタンプが登場!