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映画字幕の舞台裏はこんなに楽しい!-10-

第10回 フランス映画は基本的にエンタメです

著者 吉田 泉(仏文学者)

フランス人は楽しいことが大好き

今日はフランス映画の歴史はいかに元来エンターテインメントそのものであるかをお話ししたくてこれを始めています。そしてハリウッド映画の娯楽性の根本には歴然としてフランス映画が存在すると私は確信しています。
 
ジャン・ルノワールという映画監督を御存じですか? かの印象派の巨匠オーギュスト・ルノワールの次男として生まれましたが、画家であった父とはまた違うジャンルでの素晴らしい才能を発揮しています。血は争えない。
 

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ジャン・ルノワール監督
Par Inconnu — Arquivo Nacional, Domaine public, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=73413041

今回の映画は『大いなる幻影』

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World Pictures - National Board of Review Magazine for October 1938, Volume XIII, Number 7, page 15, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=44144102による

彼の大傑作『大いなる幻影(La Grande Illusion)』(1937年)はフィルム自体が第二次世界大戦という現実に翻弄されて数奇な運命をたどったようですが、90年代後半に奇跡的にネガが発見されて修復され、今日きれいな映像で見ることができます。
 
物語りは第一次大戦中のこと。フランス軍のマレシャル中尉(ジャン・ギャバン)とボワルデュー大尉(ピエール・フレネー)は偵察飛行中に撃墜されてドイツ軍の捕虜となり捕虜収容所に収監されてしまいます。しかしここからすべてが始まります。捕虜たちが考えていることはただ一つ、脱走しかありません。

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ジャン・ギャバン
Studio Harcourt - RMN, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=76212565による
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ピエール・フレネー
By Studio Harcourt - RMN, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=76239552

団塊の世代である私などは、戦争…捕虜収容所…脱走と映画を考えたら、なによりもまず思い浮かぶのは、かのスター総出演のハリウッド映画『大脱走(The Great Escape)』(1963年ジョン・スタージェス監督)にほかなりません。
 
スティーブ・マックイーンやチャールズ・ブロンソンなどの新しい時代のスターたちが花々しく登場した大作でした。余談ですが、田舎の中学の少年だった私は、この映画を封切している町の映画館に10回ぐらい、その都度入場料を払って見に行ったものでした(ビデオもDVDもなかった時代です)。よくカネがあったものだ。最初はなぜ、何回も通うのか自分でもわからなかったのですが、ある瞬間にふとひらめいた(?)のでした。そうか、自分はこの男スティーブ・マックイーンを見にスクリーンに来ていたのか。はじける魅力でした。

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『大脱走』
映画評論社 - 『映画評論』1963年7月号。発行所:映画評論社。, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=136510031による

共通はトンネル掘り

さて話題を『大いなる幻影』に戻しましょう。マレシャル中尉らは収容所で脱走のために何をしたでしょう? トンネル掘りです。収容所の部屋の中から穴を掘り、塀の外までそれを掘り進むのです。そして掘った時に出た土はどうするか? 捕虜が余暇に作っている畑に何気なくやってきた捕虜たちが、交代でズボンの間から捲いて捨てて行くのです。字幕をやりながら、あれ、これ、どっかで見たことがあるぞ…。
 
トンネル掘り、泥の捨て方、また穴掘りに登場する小道具の空き缶、これらはすべて『大脱走』に使われている場面ではありませんか。中学のころに『大脱走』とスティーブ・マックイーンにしびれ、映画館に通い、その何十年もあとになって、私はその種本を思いもかけない所で見つけたというわけです。収容所の捕虜たちの、捕虜生活を楽しむ雰囲気もこの二つの映画は共通しています。

アカデミー賞にノミネート

なお『大いなる幻影』は1938年アメリカのアカデミー賞・作品賞に外国映画としては初めてノミネートされていることを考えあわせると、アメリカでも知られていたわけですから、この酷似は偶然とは言えないでしょう。『大いなる幻影』の原語タイトルである、La Grande Illusion の Illusion は「幻影」というより、大がかりなマジックで使われる用語「イリュージョン」の意味に近く、ここでは「大マジック・ショー」とでも訳すべきでは、などと思ったものです。『大いなる幻影』は『大脱走』同様、脱走の映画なのです。

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エンタメの系譜…

今日のお話のポイントでもある、フランス映画から「パク」られたアメリカ映画のシーンは実は他にもいろいろあります。例えば『バーティカル・リミット(Vertical Limit)』(2000年マーティン・キャンベル監督)は氷のクレバスに閉じ込められた遭難者の救出の話ですが、これはかのフランス映画『恐怖の報酬(Le Salaire de la Peur)』(1953年アンリージョルジュ・クルーゾー監督)からかなりの部分を「拝借」しています。両方とも、ニトログリセリンを運ぶ話なのですし。そして、例えばニトロの爆風で巻きタバコのタバコが吹き飛ぶシーンや、ロープを金属の棒につないで地上や氷の上で重いものを引き上げようとするシーンなどはアングルも同じです。
 

『大いなる幻影』の真骨頂

ハリウッド映画の娯楽性とそのための様々な工夫は、すでに『大いなる幻影』の時代のフランス映画に源流があります。しかし、エンタメをただのエンタメにしておかないところが、映画を芸術とみなすフランス映画の大きな特徴でもあります。この映画でも、捕虜を人間として大切に扱うドイツ軍の描写が随所に見られますし、貴族階級出身の将校どうしの尊敬しあう様子がはっきりと示されています。これを見て、またウクライナの戦争に思いを馳せるにつけ、戦争の様相も時代を経てかなり変化していることを感じざるをえません。

ロマンスそしてクリスマスのクレッシュ

また、フランス映画になくてはならないロマンスも当然あります。主人公のマレシャル中尉は脱走し逃亡中にある納屋に隠れますが、そこに住むドイツ人エルザの世話を受けるようになり、恋仲になります。彼女の夫は戦死しており、幼い女の子と二人暮らしですが、そこにマレシャル中尉は一緒に徒歩で逃亡しているローゼンタール中尉とともに転がり込んだわけです。
 
その農村にもクリスマスが訪れ、女の子のために軍人二人はクレッシュ(キリストが生まれた時の厩を再現した模型で、クリスマスには必ず作られます)を作ってやります。女の子は「イエス様を食べたい」となかなか寝ないというシーンもこの季節のヨーロッパならではです。

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Bruno M Photographie/Shutterstock

もう一つの「幻影」とは

最後には軍人二人はスイスまで生き延びるのですが、マレシャル中尉は「こんな戦争はやめさせなきゃ」と吐き捨てるように言います。「これが最後だ」と。それに対して、一緒に徒歩で逃亡しているローゼンタール中尉が「それは君の幻影だろう」と返します。ここにも映画のタイトルの大切な意味がこめられているというわけです。
 
脱走劇は手品(イリュージョン)であり、また同時に戦争も平和も、それは人間のイリュージョンでもあろう、とこの映画は言っているかのようです。

彼は帰ってくる?

さてみなさん、マレシャル中尉は戦争が終わってエルザのもとに戻ってくるのでしょうか? いい作品はだいたいここで終わります。ただ『大いなる幻影』はフランス映画としては、かなりのハッピーエンドだと思います。未来の幸せが感じられますから。

さてさてみなさん、次はどんな楽しいフランス映画のお話しをしましょうか? どうぞぜひお楽しみに。

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この記事を書いた人:吉田 泉(よしだ いずみ)
富山県生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。
パリ第3大学大学院留学文学修士取得。
東京大学大学院仏文学専門課程博士課程修了。
立教大学、日本女子大学講師を経て高岡法科大学助教授。後に教授。
現在、富山県芸術文化協会名誉会長を務める。
NHKテレビ『世界名画劇場』にてフランス映画の字幕翻訳を長年担当。主なものとして「巴里の空の下セーヌは流れる」「北ホテル」「死刑台のエレベーター」「太陽がいっぱい」「恐怖の報酬」「かくも長き不在」など。

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