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映画字幕の舞台裏はこんなに楽しい!-11-

第11回 ファムファタルをご存じ?

著者 吉田 泉(仏文学者)

お元気ですか? またお会いしましたね。あなたは映画が好きですか?
 
さてファムファタル(Femme fatale)、直訳すれば「運命の女性」ただしフランス語ではほとんど百パーセントネガティヴな意味で「運命を狂わせる女」みたいなニュアンスを持っています。
 

今回の映画は『情婦マノン(Manon)』…怖い女性?

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今回の映画はそんな女性が主人公です。そうです、かの魔性の女性『マノン・レスコー』(1731年アベ・プレヴォー原作)を下敷きにした、『情婦マノン(Manon)』(1949年アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督)のお話しをしましょう。

しかしみなさん、この女性はなんと長い生命を生きているんでしょうね! 1731年アベ・プレヴォー原作から約三百年間はフランスの小説や映画の中で脈々と生き延び、そして忘れたころにまた登場してくるのですから。フランソワ・トリュフォー監督の1981年の作品『隣の女(La Femme d’à côté)』にも「お前と一緒では苦しく、お前なしでは生きられない」(Ni avec toi, ni sans toi.)という言葉で象徴されています。一言でいうとこれがファムファタルです。

アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督の作品は、私は『恐怖の報酬(Le Salaire de la peur)』(1953年)でも字幕を担当していますが、それにしても彼のリアリズム追及のど迫力にはすさまじいものがあります。各シーンが気のつかないうちに連続したボディブローのようにあとで効いてきます。

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アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督
Par Studio Harcourt — https://www.photo.rmn.fr/archive/08-537855-2C6NU0TT4MPE.html, Domaine public, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=138856135

物欲に支配された時代

『情婦マノン』においても映画は原作をはるかにしのぐ名作であるばかりでなく、第二次世界大戦終結直後の、まだ様々な価値観が迷走する、解放されたパリの浮ついた世相を見事な表現力で描ききっています。物質文化に溺れ、カネをめぐって右往左往する人々のドラマが展開し、その中心に美少女マノンが輝いているというわけです。

ラブシーン大歓迎

楽屋話で申し訳ありませんが、この映画のようにラブシーンが多い映画は翻訳者にとっては、実は不労所得です。NHKの規定では、字幕のギャラは10分間で幾らと決まっていて、セリフがなくてもそれはセリフがあるのと同じだというわけだからです。それでもラブシーンに「マノン、君が欲しい」「私も欲しいわ」なんて字幕をつけていますと、翌日、勤務先で私の放送を見たらしい女子学生から「先生、どんな顔してあんな字幕を書いているんですか?」とニヤニヤしながら聞かれてドギマギした(なんで?)思い出が、何十年もの時を超えて蘇ってきます。

運命の出会い

マノンはドイツ軍に通じたことで市民からリンチを受けそうなところを、デグリューという兵士に助けられ、二人は恋仲になります。しかしどうしても派手な楽しい生活をしなければ済まないマノンは、結婚を望むデグリューの純愛をそのまま受け入れることができず、金持ち連中と密かに付き合ったり、時には手っ取り早く娼婦になったりして贅沢を追い求めます。ウソも平気です。
 
しかし何度裏切られても、デグリューはマノンをあきらめることができません。ついにマノンはアメリカ人と結婚するためにフランスを離れると言いだしますが、しかし最後の最後になって、彼女もデグリューへの愛を自覚することになります。ところがその直前にデグリューは彼を騙していたマノンの兄レオンを殺害していて、何と指名手配の身になっています。

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マノン役セシル・オーブリー
Par Studio Harcourt — https://www.photo.rmn.fr/archive/08-538403-2C6NU0TDHNU4.html, Domaine public, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=138843758
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デグリュー役ミシェル・オークレール
Par Studio Harcourt — https://www.photo.rmn.fr/archive/08-538013-2C6NU0TD1KDP.html, Domaine public, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=138857571


痺れるセリフ

デグリューは逃亡の直前にマノンに電話をして「俺はズラかる。マルセイユ行きの汽車だ。これでおさらばだ。続きは新聞で読め」と言います。字幕をつけながら、このキレのよいセリフに痺れました。しかしマノンは前述のようにアメリカ人をふって、この列車の中にデグリューを見つけ出しにきます。この時のカメラワークもすごい。ごった返した客車の人々をかき分けてマノンが恋人を捜す長い尺のシーンは映画史上の語り草になっています。
 
二人はマルセイユで、エルサレムを目指すユダヤ人難民を密かに運ぶ貨物船に乗り込み、彼らと運命の一部を共有することになります。パレスティナで船を下りたものの、あとは砂漠です。歩くしかないのです。ここでも砂漠の風土を丹念に描写するクルーゾー監督はまさに『恐怖の報酬』でヴェネズエラの山中に観客をのめりこませたのと全く同じような神業の手法を展開していきます。砂漠にはオアシスもあり、この二人の恋人たちの束の間の楽園となります。素晴らしいシーンです。

度肝を抜く演出で見せる映画

しかしそこに騎乗のアラブ人たちが現れてユダヤ人に発砲してきたとき、マノンもあっけなくその犠牲となります。この弾が当たるシーンはいかにもフランス映画らしい、さりげないシーンです。だがマノンが死んだ後の監督の演出がこれまたすごい。デグリューはマノンの亡きがらの脚を持ち、逆さにして肩に担いで、砂丘をあてもなくさまようのです。みなさん、この演出は度肝を抜きますよ。さすがだアンリ=ジョルジュ・クルーゾー!
 
しかしデグリューも次第に力尽きていきます。マノンの死体を砂丘に埋めて念入りに砂をかけ、彼女のきれいな顔だけをレリーフのように表面に残します。その時の彼のセリフがまた衝撃的です。「俺はお前が死んでくれて嬉しい。もう誰もお前を奪いには来られないのだから」と。

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マノン・レスコーの死の場面
Par Hubert-François Gravelot — Manon Lescaut, Amsterdam [i.e. Paris], aux dépens de la Compagnie [i.e. François Didot], 1753., Domaine public, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1448212

偽善よりも本音

このセリフには偽善を徹底的に嫌う、フランス人の「本音主義」みたいなものがあるかもしれません。美人で魅力的で奔放な女性を好きになった男性の、これが「本音」なのです。でもまあよくぞ言わせたものです。ここに飽くなき人間探求の試みを見る思いです。これがフランス的であるような気もします。とにかく究極が好き。しかし、この「本音主義」をこれでいいのかと翻って検証する部分もあり、それを超えてさらなる人間性の真実を求めるのもフランス的なのかもしれません。

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まだファムファタルは生き続ける?

これがファムファタルです。まだこの難問に解答はありません。『隣の女』の「お前と一緒では苦しく、お前なしでは生きられない」(Ni avec toi, ni sans toi.)というキャッチコピーが思い起こされます。“Ni avec toi, ni sans toi.”(直訳「君と一緒もなく、君なしもない」)をこの日本語にするのはやや訳し過ぎだとは思いますが、それでもフランスの血脈のどこかにある(?)ファムファタルをこの映画『情婦マノン』に見た場合など、このような日本語訳もまだ生ぬるいのかも。
 

さてみなさん、次回はクリスマスです。クリスマスの雰囲気の映画でお目にかかりましょう。『シェルブールの雨傘(Les Parapluies de Cherbourg)』(1964年ジャック・ドゥミ監督)はいかが?

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この記事を書いた人:吉田 泉(よしだ いずみ)
富山県生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。
パリ第3大学大学院留学文学修士取得。
東京大学大学院仏文学専門課程博士課程修了。
立教大学、日本女子大学講師を経て高岡法科大学助教授。後に教授。
現在、富山県芸術文化協会名誉会長を務める。
NHKテレビ『世界名画劇場』にてフランス映画の字幕翻訳を長年担当。主なものとして「巴里の空の下セーヌは流れる」「北ホテル」「死刑台のエレベーター」「太陽がいっぱい」「恐怖の報酬」「かくも長き不在」など。

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