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ロンドンを巡る奇妙な冒険 第4部

第4部 ーゲインズバラと007とブランコとー

著者 小泉 勇人(こいずみ ゆうと)

(前回までの記事はこちら)
第1部 映画館のお話
第2部 切り裂きジャック編
第3部 ロンドン名物ウナギのゼリー寄せ編

好きな絵を見に行くだけで、それはもう「聖地巡礼」です。

 ロンドンを巡る奇妙な冒険も、いよいよ最後となりました。今回は、自分の好きな絵画を巡る楽しさについてお話しします。みなさんは、美術館で絵を見るのは好きですか?ロンドンで、自分のお気に入りの美術館を見つけてみるのはいかがでしょう。たった一枚でも、自分の気に入った絵が飾られているなら、その美術館はもうあなたにとって大切な聖地となるはず。

『007 スカイフォール』と、ナショナル・ギャラリーと、『戦艦テメレール号』と

 どのような絵が自分の心に引っかかるでしょうか。一例として、映画の中で見かけた絵画を、わざわざ見に行くのはどうでしょう。例えば筆者はサム・メンデス監督の映画が好きで、ダニエル・クレイグがボンドを演じた007シリーズの中でも、メンデス監督の『007 スカイフォール』(Skyfall, 2012)は激推しの一本。好きすぎて論文まで書いてしまったほどです。人生、仕事、老いと若さ、チームワーク、老若男女の多様性、テロリズム、煮えたぎる復讐心 etc.——本作は非常にリッチな要素に溢れており、何度でも見返したい大傑作。何より、本作を見るとロンドンのナショナル・ギャラリーに行きたくなります。特に、34番目の部屋、Room 34に。ここからは、一緒にナショナル・ギャラリーを探索してみましょう。便利な世の中になったもので、ナショナル・ギャラリーの公式サイトでは、その膨大な所蔵絵画をいつでも閲覧でき、詳しい解説まで読めます。場合によっては、YouTubeでキュレーターの解説まで聞けてしまうのです。

Room 34 | Level 2 | National Gallery, LondonView a list of paintings in Room 34 at the National Gallery.www.nationalgallery.org.uk

Q(Quartermaster〈需品係将校〉)からガジェットを受け取る予定のボンドが待ち合わせをするのが、Room 34です。ボンドがとある風景画を見つめていると、Qがやってきてひと悶着が起こります。まだ二十代と思しき若きQを前に、ボンドは不安を覚えます。しかし、そんなボンドに対し、Qは舌鋒鋭く反論します。

Q: Age is no guarantee of efficiency.
(歳を重ねているからといって仕事ができるとは限りませんよ。)
BOND: And youth is no guarantee of innovation.
(若けりゃ新しいことができるとでも?)
Q: Well, I'll hazard I can do more damage on my laptop sitting in my pajamas before my first cup of Earl Grey than you can do in a year in the field.
(まぁ僕なら、起き抜けにパジャマを着たままパソコンのボタン一つで敵国にだって攻撃できますよ。あなたが現場に一年いたってできやしないことです。)
BOND: Oh, so why do you need me?
(じゃあなんだって組織は俺を必要としているんだい?)
Q: Every now and then a trigger has to be pulled.
(時には引き金を引く人も必要ですから。)
BOND: Or not pulled. It's hard to know which in your pajamas.
(引いちゃいけない現場もある。パジャマを着た若造には難しい判断さ。) 

※若いQに「時の流れは残酷なものですね」と言われてしまう老いたボンド

若年と老年というお互いの属性をあてこすり合う二人。そんな彼らが正面から眺めるのは、ウィリアム・メレル・ターナー作『解体されるために最後の停泊地に曳かれてゆく戦艦テメレール号』(1838)です。

Joseph Mallord William Turner | The Fighting Temeraire | NG524 | National Gallery, LondonJoseph Mallord William Turner, The Fighting Temeraire, 1839.www.nationalgallery.org.uk

国民的画家ターナーが、トラファルガーの海戦で大活躍した戦艦が老朽化して解体される直前の瞬間を切り取った作品。迫りくる老いに向き合うボンド——それはまた、伝統映画シリーズとして時代の波に晒されていく「007」というジャンルとも重なります。こうした例も含め、「老いとの対峙」は『007 スカイフォール』の重要なテーマとして全編に横溢しています。そういうわけで本作では『戦艦テメレール号』にまず注目が集まりがちなところ、筆者としては、彼らの背後にある絵も大変気になります。

トマス・ゲインズバラ『ウィリアム・ハレット夫妻』

Thomas Gainsborough | Mr and Mrs William Hallett ('The Morning Walk') | NG6209 | National Gallery, LondonThomas Gainsborough, Mr and Mrs William Hallett ('The Morningwww.nationalgallery.org.uk

ボンドの背後にあるのは、トマス・ゲインズバラによる『ウィリアム・ハレット夫妻』。「朝の散歩」(The Morning Walk)とも題されたこの、いかにもクラシカルな絵画は、英国文化遺産ともいえるジェイムズ・ボンドの写し鏡のような存在です。さらに、ゲインズバラが描く夫婦としての男女の関わりは、ヘテロセクシュアルの権化ともいえるマスキュリンなボンドのキャラクターとも重なります。

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(筆者撮影。トマス・ゲインズバラ(Thomas Gainsborough, 1727-1788)がその作風をいかんなく発揮した『ウィリアム・ハレット夫妻』(Mr and Mrs William Hallett, 1785)。夫婦がやや右寄りに配置されているせいだろうか、ずっと見ていたくなる魔力がこもる。ゲインズバラの流麗なタッチと相まって、夫妻のドラマに想像が掻き立てられる。)


では、対するQの背後にある絵を見てみましょう。
 

ジョセフ・ライト『空気ポンプの中の鳥の実験』

Joseph Wright 'of Derby' | An Experiment on a Bird in the Air Pump | NG725 | National Gallery, LondonJoseph Wright 'of Derby', An Experiment on a Bird in the Airwww.nationalgallery.org.uk

 対する若者代表Qの背後にあるのは、ジョセフ・ライトによる『空気ポンプの中の鳥の実験』。当時最先端の科学実験の様子を描いた、珍しい絵画です。老いたボンドを牽制する若者代表Qに、まさにふさわしいモチーフでしょう。

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筆者撮影。光と影の色遣いが強烈な印象を残すジョセフ・ライト(Joseph Wright, 1734-1797)による『空気ポンプの中の鳥の実験』(An Experiment on a Bird in the Air Pump, 1768)。絶妙なライティング効果を伴い、中心の実験器具から広がるように群像劇が展開する神秘的な瞬間 。)

 ちなみに、18世紀のテクノロジー繋がりでいえば、オックスフォード出版社から刊行されている『フランケンシュタイン』(第三版)の表紙には、このジョセフ・ライトの絵が採用されています。死体を繋ぎ合わせ、電流で人造人間を作り出すフィクションに、科学実験の絵はピッタリですよね。

Frankenstein: or `The Modern Prometheus': The 1818 Text (3rd edition) | Oxford University PressA new edition of Mary Shelley's immensely powerful and iconicwww.oupjapan.co.jp

  さて、筆者はこの『007 スカイフォール』が、シェイクスピアの戯曲『テンペスト』を下敷きに製作されていると考えています。孤島に潜む魔法使いプロスペローが原住民キャリバンを奴隷としてこき使い、復讐のために風の妖精エアリエルを使役するという「ファンタジック」な芝居です。一方、『007 スカイフォール』において、ボンドはテクノロジーの発達を象徴する二人の人物と対峙します。一人は味方である武器調達係のQ、そしてもう一人は孤島に潜むサイバー・テロリストである敵役シルヴァ。彼らはまるで、『テンペスト』において魔法使いプロスペローに使役される風の妖精エアリエルが、現代におけるインターネット・テクノロジーとして再解釈されたかのようです。そんなQやシルヴァに翻弄され続ける時代遅れのボンドは、プロスペローに奴隷のようにこき使われる原住民キャリバンと重なるのではないでしょうか?興味深いことに、監督のサム・メンデスはロイヤル・シェイクスピア劇団で演出の腕を磨いた俊英、彼の舞台演出における出世作は『テンペスト』(1993)でした。

Sam Mendes 1993 Production | The Tempest | Royal Shakespeare CompanyAriel was the dominant force in director Sam Mendes' interprewww.rsc.org.uk

  なお、シェイクスピアの『テンペスト』はファンタジックな設定ゆえにSF翻案との相性も良く、SF映画の金字塔である『禁断の惑星』(1956)の元ネタにもなっています。近年では、2023年に放映された『機動戦士ガンダム 水星の魔女』がどうやら『テンペスト』を下敷きにしている点も納得で、やはりSFとの親和性が見て取れますね。

ゲインズバラ再び。そしてウォレス・コレクション所蔵『笑う騎士』、『ぶらんこ』

 最初に書いたように、気に入った絵があったら、その作者の名前や作品の風合い(タッチ)を記憶に留めてみてください。長い年月を経ても生き残ってきた作品には、その作家特有の風合い/刻印/タッチがあるはずです。それが何かを自分で感じ取り、意識してみてください。そうして気に入った絵の記憶がしっかりと刻まれていれば、別の美術館を訪れたときに、思いがけず同じ作家の作品と再会する幸運が訪れるかもしれません。筆者の場合、クラシカルな夫婦の肖像を描いたゲインズバラのタッチに惹かれ、それが長らく記憶に残っていました。そしてある日、やや通向けの美術館であるウォレス・コレクションを訪れた際、思いがけず彼の作品と再会しています。 

Wallace Collection Online - Mrs Mary Robinson (Perdita)wallacelive.wallacecollection.org

とある部屋に足を踏み入れると、犬をそばに置いた貴婦人の絵が目に飛び込んできました。この絵『メアリー・ロビンソン夫人』は、ほぼ等身大の、非常に大きな作品です。この絵が ‘Perdita’とも題されているのは、被写体であるメアリー・ロビンソンがシェイクスピアの『冬物語』(The Winter’s Tale)で流浪の旅を経る娘パーディタを演じて名を馳せた女優だからです。やはり作者はあのゲインズバラであることがわかります。なんとなくそのタッチが記憶に残っていると、別の作品を見たときに「ひょっとして、これも同じ作者かな?」と気づけるものです。

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(筆者撮影。ウォレス・コレクションの一室に鎮座する『メアリー・ロビンソン夫人』(Mrs. Mary Robinson, 1781)。いつも思うけれど、こうした絵画で表現される服のヒダの波打つ様の細やかさには目を見張る。中心人物の乳白色の存在感が、部屋全体を支配する。)

ちなみに、ウォレス・コレクションが目玉にしている『笑う騎士』は、なんとアムステルダムの美術館に貸し出されていて、筆者は2024年9月の訪問時に見ることができませんでした(こういうの、よくあります)

The Laughing Cavalierwww.wallacecollection.org

しょんぼりしながら館内をうろついていると、ジャン・オノレ・フラゴナールの『ぶらんこ』に出会いました。あ!これは、『アナと雪の女王』の序盤でアナが「生まれて初めて」を歌いながら、絵画に自分を重ねる場面のあれだ!!

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(筆者撮影。ジャン・オノレ・フラゴナール(Jean-Honoré Fragonard, 1732–1806)の『ぶらんこ』(The Swing, c. 1767–1768)を実際に目にして、解説に耳をすませる。意外と小さいサイズであっても、ブランコの乗り手が飛び出てくるような、異様なダイナミズム。)
※『アナと雪の女王』(Frozen, 2013)でアナが「生まれて初めて」(For The First Time In Forever)を歌う名場面。「ぶらんこ」がどこで映るか、探してみてください。それにしてもこの場面、瞬間の出来事をキャンバス上に永遠に刻み込む「絵画」に囲まれて“For The First Time In Forever”とアナが歌い上げる、奇跡のような演出ですね。ちなみに、筆者が訪れた際の無料ガイドは、この絵に込められたエロティックな意味合いに触れていました。公式サイトの解説でも同様の話が確認できます。 

最後に。自分で歩いてみれば、奇妙なロンドンはいつでも目の前に。

 さて、ロンドンを巡る奇妙な冒険もひとまずここまで。第一部はBFIサウスバンク、第二部は切り裂きジャック、第三部はウナギ料理、第四部はゲインズバラと、筆者なりの歩き方を紹介してみました。どれがどこまで奇妙だったかは、読者の皆さんにお任せします。もしかしたら、「案外普通じゃないか」と拍子抜けした方もいるかもしれませんね。私としてはただ、「聖地巡礼」のヒントを編集から投げていただいたおかげで、こうして言葉にできました。旅の経験を皆さんと共有しながら、自分だけの聖地巡礼が少し立体的になった気がしています。みなさんも、自分の興味の赴くままに歩いてみてください。そして誰かと話してみてください。ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

※「自分自身の足取りで、どの方角であっても、高慢だ、馬鹿げているぞと言われても、自分の向かいたいところへ・・・」

この記事を書いた人:小泉 勇人(こいずみ ゆうと) 
東京科学大学リベラルアーツ研究教育院・外国語セクション准教授。
大阪府枚方市出身。関西学院大学文学部英文科を卒業後、早稲田大学大学院文学研究科英文学コースに進学。修士課程では「シェイクスピアと医療」(特に梅毒を巡る言説)をテーマに研究、博士論文ではシェイクスピア映画と現代社会の関わりに取り組み、イラク戦争がシェイクスピア映画に与えた影響等を論じる。東京科学大学ではイギリス文学の研究に携わりながら、アカデミックライティング指導の分野も追求し、東京科学大学ライティングセンターを設立、運営。映像メディアを利用する英語教育にも関心があり、映像メディア英語教育学会(Association of Teaching English through Media: ATEM)東日本支部に所属。執筆した大学英語教科書に『現代映画のセリフで鍛えるリスニングスキル』(2020)がある。

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