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夢みる近代小説と異言語経験Ⅰ

著者 茂木 謙之介(もてぎ けんのすけ)

Ⅰ 明治大正文学とエドガー・アラン・ポー

「うつし世はゆめ、夜の夢こそまこと」

 小説家・江戸川乱歩が人に請われるとよく書いたフレーズとして有名ですが、夢幻をかたちにする「幻想文学」といわれるジャンルのテクストたちは人びとを絶えず魅了して来ました。私たちが所与のものとして受け止めがちな〈現実〉とは異質な時空間や秩序を許容する「幻想文学」は、紀田順一郎や荒俣宏といった人びとの仕事を通じて1970年代以降にジャンルとして定着しました。そこでは遡及的に様々なテクストがそのカテゴリに組み込まれ、リアリズムが中心だった近代小説の群れの中に燦然と輝く、非リアリズムの系譜を位置付けてきました。
 さて、近代日本における小説の成立は、海外の文学の影響を強く受けているということはよく知られたことですが、「幻想文学」もその例に漏れません。本連載では、近代日本の「幻想文学」と外国語文学の関係について紹介を試みたいと思います。今回はその中でもアメリカの詩人・小説家としてよく知られたエドガー・アラン・ポーの明治から大正初期における影響を簡単にみてみましょう。

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エドガー・アラン・ポー

 近代日本におけるポーの翻訳はかなり早く、例えば小説The Black Catは、日本に最初期に日本に紹介されたヨーロッパの小説としても知られています。The Black Catは、黒猫を殺そうとして誤って妻を殺した夫が遺体を壁に塗り込め、その際に一緒に生きた黒猫も塗り込めてしまい、その鳴き声で悪事が露見するという若干おどろおどろしい話です。饗庭篁村によって1887(明治20)年12月に『読売新聞』紙上で「西洋怪談 黒猫」として発表されています。一部引用してみましょう。

ボンといふ打つ杖の響きが終わるや否や変な声が聞こえた。包まれたやうな、赤児の啼声のやうな、人間でないものが叫ぶやうな、悪魔が嘲るやうな。

 妻殺しの疑いが晴れた喜びから主人公が死体が塗り込められた壁を叩き、猫の鳴き声を招来して露見する象徴的なシーンですが、これは原作だと以下の箇所が該当します。

But may God shield and deliver me from the fangs of the Arch-Fiend ! No sooner had the reverberation of my blows sunk into silence, than I was answered by a voice from within the tomb! -- by a cry, at first muffled and broken, like the sobbing of a child, and then quickly swelling into one long, loud, and continuous scream, utterly anomalous and inhuman -- a howl -- a wailing shriek, half of horror and half of triumph, such as might have arisen only out of hell, conjointly from the throats of the dammed in their agony and of the demons that exult in the damnation.

 一読して明快なように、原作の表現でははじめ聞こえてきた子どものような声がだんだんと人ならざる声に変わっていく過程が描かれ、それは生身の猫の声にもかかわらず怪異存在との邂逅を思わせるような描写となっています。それに対して前掲の饗庭による翻訳は原典の一部のみを切り出して、一つの声が多様に聞こえてくるような描き方がなされていることが分かります。どうにも「翻訳」と言うには飛躍が過ぎているようにも見えるかもしれません。

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『黒猫』A・ビアズリーによる挿絵

 それもそのはず、饗庭のこの取り組みは原作にあたるものをきっかけにした「創作」であり所謂「翻案」と呼ばれるスタイルに当たります。同時代の翻訳者は山田美妙、尾崎紅葉、森鷗外といった外国語に精通し翻訳を自らこなす作家たちがいた一方で、饗庭や三遊亭円朝など外国語のできる協力者を得て原作の日本語化に専心した戯作者や作家たちがいました。饗庭によるポーの翻訳については英文学者の高田早苗が「私が西洋の短編小説を読んであげて、それを饗庭篁村君が自分のものにして紙上に載せた」と証言しています(高田早苗『半峯昔ばなし』早稲田大学出版部、1927年)。
 ただここで重要なのは、端的に翻訳としての正確さというよりも饗庭の翻案テクストが文学史上もった意義です。坪内逍遥による「竹のや(註:饗庭のこと)が意訳して公表し、世評も好かつたのはアラン・ポーの「黒猫」」(坪内逍遥「アラン・ポーの意訳」『柿の蔕』中央公論社、1933年)という評にもあるように、饗庭翻案に端を発してポーのテクストは様々な文学テクストに影響を与えていくことになります。
 特によく言及されるのが大正初期に隆盛をみせる探偵小説への影響です。明治20年代に黒岩涙香らがポーをはじめとした西欧の探偵小説を翻案しはじめ、大正初期には佐藤春夫や谷崎潤一郎、芥川龍之介らが関連する作品を発表することで知られています。
 例えば大正初期に活躍した探偵小説の書き手である村山槐多はポーの翻訳を自ら手掛けていたことでも知られています。彼の傑作「悪魔の舌」(1915年)においては食人というテーマが描かれますが、それはポーの『ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語』(1838年)からの影響が確認できます。また、テクスト内では内発的に突き上げるその欲望が表現されており、まさにポーの「黒猫」からの影響も色濃いものとなっています。同じく槐多の著した「魔猿伝」(1914年)は、超自然的な力を持った猿が人を襲うというストーリーでありこれまたポーの有名な作品(完全にネタバレになるので作品名を伏せます)のオマージュにほかなりません。
 村山槐多はもはや今となっては読む人が大変少ない作家ですが、彼を探偵小説の第一次黄金時代である1920年代に「再発見」したのは冒頭にも言及した江戸川乱歩でありました。もちろん皆さんもご承知だと思いますが、乱歩はまさにエドガー・アラン・ポーをオマージュした筆名です。彼の名が21世紀の推理ものの一大コンテンツ『名探偵コナン』にまで影響を与えていることを考えると、ポーの影響の大きさとその長さを思わないではいられません。


茂木 謙之介(もてぎ けんのすけ)
東北大学大学院文学研究科 准教授。
1985年3月、埼玉県大宮市(現さいたま市)に生まれる。東北大学文学部人文社会学科日本史専修卒業。東北大学大学院文学研究科人間科学専攻宗教学研究分野博士課程前期二年の課程修了。東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻表象文化論コース博士課程修了。足利大学工学部共通教育センター講師を経て、2019年10月から現職。

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