2025.04.09 NEW 編集部コラム スマホを捨てよ、書へ帰ろう 多くの方もそうだと思いますが、交通系ICと決済機能の劇的な普及によって、スマートフォンは自分にとっても本当に手放せない、もっというと肌身離さず持っていなければならないものになってしまいました。バスに乗る、電車に乗る、買い物をする、何かの予約をする、チケットを表示する、仲間と割り勘をする、などなどすべてスマホがないとできません。もはや財布を忘れても平気ですが、スマホを忘れたら致命的です。常にポケットに入っているのでメールやSNS、ニュースアプリを開く回数も以前に比べて必然的に増えています。これまで通勤電車はほぼ100%、読書の時間だったのですが、疲れている時などついついスマホに手が伸びてネットニュースをなんとなく眺めるようなことが目に見えて多くなってきてしまいました。 そんな中でも昨年、邦訳刊行後50年のタイミングで文庫化されたガルシア・マルケスの『百年の孤独』は電車の中で読みふけりました。今年元日の新潮社さんの新聞広告にも書かれていたのですが、この作品はタイトルの静謐な印象と違ってものすごく賑やかな、騒々しいといってもいいくらいの物語なんですよね。ぜんぜん“孤独”な感じがしない。壮大でエネルギッシュでこれまで見たこともないような魅力のあるものなのですが、これは日本ではタイトルで売れたところはあるな…、とうすうす思っておりました。そこへ来てのこの全五段広告は素晴らしかった。“孤独”なのは今まさに本を読んでいる自分なのだと。スマホによって常にどこかにアクセスされている状態から解放されている孤独な時間。その広告はこう語ります。 ――本がくれる孤独な時間は、貴重だ。ひとりでいる時間だけ、人は自分自身に向き合うことができる。他者を尊重する力を養うことができる。―― スマホのおかげであらゆることが便利になったし眠れない夜にも寄り添ってくれるありがたい相棒でもあるのですが、ついつい画面を開いてしまう自分に嫌気がさして、最近はちょっと本気で疎ましく思うようになっています(スマホに罪はないのですが…)。読書時間を駆逐することで、かえって読書がもたらしてくれる孤独な時間がいかに尊いものだったのかを改めて気づかせてくれたスマホに感謝しつつも今こそ自分に向けて言いたい。「スマホを捨てよ、書へ帰ろう!」寺山修司さん風にうまいこと言ったつもりでしたがスマホでも書に帰れるんじゃん…。 バンドウ