2025.04.04 NEW 著者のコラム 夢みる近代小説と異言語経験Ⅳ 著者 茂木 謙之介(もてぎ けんのすけ) (前回までの記事はこちら)Ⅰ 明治大正文学とエドガー・アラン・ポーⅡ 泉鏡花とハウプトマンⅢ 中島敦・久生十蘭の南洋体験 Ⅳ 「幻想文学」のはじまりと翻訳出版 これまでポーの受容、泉鏡花とハウプトマン、中島敦&久生十蘭と南方について連載を続けてまいりましたが、最終回に当たっては少し引きの視点から「幻想文学」というジャンルについてその歴史的経緯を異言語経験と絡めつつ簡単にまとめておきたいと思います。本連載初回の記事では以下のような記述を致しました。 私たちが所与のものとして受け止めがちな〈現実〉とは異質な時空間や秩序を許容する「幻想文学」は、紀田順一郎や荒俣宏といった人びとの仕事を通じて1970年代以降にジャンルとして定着しました。そこでは遡及的に様々なテクストがそのカテゴリに組み込まれ、リアリズムが中心だった近代小説の群れの中に燦然と輝く、非リアリズムの系譜を位置付けてきました。 夢みる近代小説と異言語経験Ⅰ ここでさらっと「紀田順一郎や荒俣宏といった人びとの仕事を通じて1970年代以降にジャンルとして定着」と申しましたが、そこに至る過程においては翻訳という作業が非常に大きな意味をもっていました。ご存知の通りヨーロッパを中心としたテクストの翻訳は戦時中に抑圧されていましたが、戦後はその抑圧をはねのけるように多種多様な翻訳作業が行われるようになります。特にGHQによる紙の統制がなくなった1950年代以降は爆発的に書籍と雑誌の出版点数が伸び、その中で翻訳書もまた増加します。それにつれて従来文学テクストの中でも傍流だったはずの反自然主義的なテクストとその翻訳もまたその数を伸ばしていったのです。 怪奇幻想文学ジャンルの確立の立役者・紀田順一郎(1935~)の『幻島はるかなり 推理・幻想文学の七十年』(松籟社、2015)によれば、1956年は「ミステリ出版史上、まれにみる豊作満作だった」とされています。ここで挙げられているのは東京創元社の『世界推理小説全集』全80巻および『世界大ロマン全集』全75巻の刊行などのほか日本国内の推理小説のシリーズ刊行です。ここで気にしておきたいのは同時期は未だSFや推理小説、怪奇小説とのジャンル分化が不分明だったため、例えば『世界大ロマン全集』にはストーカーの「魔人ドラキュラ」やハガードの「洞窟の女王」といった後に「幻想文学」とされるものが入っていたということです。 その中でも注目すべきなのは平井呈一(1902~1976)の存在でしょう。イギリス文学の翻訳者・編集者として知られる彼は、1950年の段階でラフカディオ・ハーンの“Kwaidan”を『怪談 不思議な事の研究と物語』(岩波文庫)として全訳し、『世界大ロマン全集』シリーズでは1957年に『怪奇小説傑作集』を、1958年には『世界恐怖小説全集』(東京創元社)シリーズからレ・ファニュ『吸血鬼カーミラ』などを翻訳しています。その仕事を踏まえて紀田は1962年に、『怪獣大図鑑』(朝日ソノラマ、1966)で知られる編集者・翻訳家の大伴昌司とともに平井に監修を依頼して1963年に「日本唯一の恐怖小説研究誌」と銘打った雑誌『THE HORROR』を刊行することになります。 さて、この平井に紀田と荒俣宏(1947~)がタッグを組んで1969年から刊行したのが『怪奇幻想の文学』全7巻(新人物往来社)です。第一巻の『真紅の法悦』では、前掲の平井翻訳のレ・ファニュ『吸血鬼カーミラ』のほか、紀田訳のウェルマン「月のさやけき夜」、荒俣訳のケラー「月を描く人」が収められ、ドイツ文学者でグスタフ・ルネ・ホッケ『迷宮としての世界』(美術出版社、1965)の翻訳などで知られていた種村季弘(1933~2004)の解説「吸血鬼小説考」が掲載されます。種村もまたドイツ文学や英文学のジャンルの幻想小説の翻訳を積極的に行った一人なのですが、ここでは彼の盟友にして後に「幻想文学」ジャンルのアイコンになる翻訳家・小説家の澁澤龍彥(1928~1987)に登場してもらわねばなりません。 荒俣宏 澁澤はマルキ・ド・サドの翻訳などで知られ、出版と性表現の問題が争われた「サド裁判」(1959~1969)でその名を知る方も多いと思いますが、例えば雑誌『幻想文学』の編集長を務めた東雅夫は澁澤について以下のように語っています。 すでに没後四半世紀が経過し、お若い方には実感が伴わないかも知れませんが、一九六〇年代末から七〇年代にかけての澁澤龍彥は、大相撲なら大鵬、プロ野球なら長嶋茂雄、怪獣映画ならゴジラに比肩しうるような、幻想文学ジャンルの輝かしきシンボルであり、真にカリスマ的な存在でした。 東雅夫「「幻想文学」とは、どのような文芸ジャンルなのか」『幻想文学入門』ちくま文庫、2012 後の時代において絶大な影響力が語られているわけですが、確かに前掲の『怪奇幻想の文学』シリーズにおいては第二巻の『暗黒の祭祀』(1969)の冒頭に解説「黒魔術考」を寄せているなど同時代において斯界の第一人者として認識されていました。 澁澤はサド裁判と並行する時期に澁澤龍彥『黒魔術の手帖』(桃源社、1961)や『神聖受胎』(現代思潮社、1962)、『秘密結社の手帖』(桃源社、1966)といった異端文化に関する評論を次々と刊行していました。既に様々な研究が明らかにするように、多くはフランス語圏の書物を、時にはそのまま訳するようなかたちでものされたテクストではあったわけですが、まだそれらの原典に当たるのも難しい状況の中で、澁澤の軽妙な文体の妙味とも相俟ってかなり多くの読者を獲得していました。時はまさに第一次安保闘争後の「政治の季節」であり、サド裁判によって反体制のアイコンと目されていた澁澤のかかるジャンルの書物はかなり多くの人びとに読まれました。高度経済成長のなかで様々な社会的不具合が生じているのに対抗する一種の「カウンターカルチャー」としての役割も勿論果たしていたというべきでしょう。1970年4月号の雑誌『ユリイカ』では日本初となる特集「幻想の文学」が組まれ、澁澤は論考「幻想文学について」を寄せ、1973年には日本文学の専門雑誌『国文学 解釈と鑑賞』第38巻3号に「幻想文学の異端性について」を掲載するなど、「幻想文学」という浸透が澁澤を一つの台風の目としてはかられていきます。 そのような動向のなか1974年には雑誌『幻想と怪奇』全12巻(歳月社)が紀田順一郎・荒俣宏によって創刊され、1975年には雑誌『牧神』全12巻+α(牧神社)が創刊され、荒俣や紀田、種村のほか、編集に深くかかわるかたちで英文学者・翻訳家の由良君美(1929~1990)が参加しました。これらの雑誌では翻訳の他、論考やブックガイドなど多くの人びとにかかるジャンルを伝える構成がとられました。そして同年から1986年にかけて世界各国の「幻想文学」を翻訳した『世界幻想文学大系』全54巻(国書刊行会)が紀田の肝いりで刊行されることになります。 この前後、紀田は以下のように回想しています。 一般の怪奇幻想文学需要の在り方が、目だって変化するきっかけとなったのは、四十年代初頭の江戸川乱歩、夢野久作、小栗虫太郎を中心とする“異端文学”のリバイバル・ブームだった。こまかに見れば、乱歩は管理社会の逃避として読まれ、久作は土着なるものの再評価という面が強調されるなど、それぞれ復活の意味あいは異なるが、重要なことは彼らを“新しい”作家と見做す世代が生じていたことである。つまり担い手の変化である。/以後、今日にいたる約十年は、欧米のゴシック復活とも考えあわせて、怪奇幻想小説のルネサンス期といえる。澁澤龍彥、種村季弘らの精力的な評論活動に触発され、読者の関心もドイツ・ロマン派から仏世紀末文学を経て、バタイユ、マンディアルグ、ボルヘス、トールキンの域に拡がり、ゴシック文学の研究もようやく端緒につきはじめた。 紀田順一郎「日本怪奇小説の流れ」『現代怪奇小説集』立風書房、1974 まさに1970年代にかけてジャンルが確立していった過程を見て取ることが出来るでしょう。そしてこの日本における「幻想文学」ジャンルの確立において海外のテクストの翻訳出版が果たした役割とそれを積極的に行ってきた人びとの活動が見えてきたように思います。今回名を挙げた人びとは全て一つの肩書におさまるような仕事をしてきた人ではありません。むしろ様々な関心と仕事の人びとが「幻想文学」を核として翻訳を行い、この脱ジャンル的なジャンルを創り出していったのです。 もはや反自然主義的なテクストが文学の主流となった現在、「正統」な文学史を考える上でも、これらの系譜とそこに散在する様々な異言語体験とを改めて見据えてみるのも重要なのではないか、そんな気がしています。 茂木 謙之介(もてぎ けんのすけ)東北大学大学院文学研究科 准教授。1985年3月、埼玉県大宮市(現さいたま市)に生まれる。東北大学文学部人文社会学科日本史専修卒業。東北大学大学院文学研究科人間科学専攻宗教学研究分野博士課程前期二年の課程修了。東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻表象文化論コース博士課程修了。足利大学工学部共通教育センター講師を経て、2019年10月から現職。