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  • 著者のコラム

ことば屋さんのまいにち 第4回

著者 高橋美佐(英語・仏語・伊語フリーランス通訳、コーディネーター)

――通訳や翻訳という商売は、なにを売る商売かというと、「ことばを使ってできるサービス」を売っているのです。ベレ出版さんは本を作って売っていらっしゃるので本屋さんですね。だから、私は、ことば屋さん。わたしのお店に並んでいる品物は、英語と、フランス語と、そしてイタリア語です。

毎日、いろんな注文が飛び込んできます。「無理な注文」もときどきあります。でもだいたいのところは、なんとか、売ることができています。いったいどんな注文が入るのか、みなさんにお話しましょう。

・注文その3-2・
訳せなかった、「そこをなんとか。」

ドイル氏の言う「できません」の理由

「電気系統の担当者をとにかく急がせてください。」佐々木さんは必死。
「ええ、明日と明後日は、こちらの仕事に当たらせます。ジェームズは、今日はあいにく別の現場に行ってしまっているので……」とドイル氏。ふ、そうか、電気担当、名前はジミーだな、と私は思う。

「で、あなたがパネルの図柄を仕上げて全体をチェックすれば、完了ですよね?それに何日かかりますか?」「私のほうは1日か2日あれば。」「ということは、来週の水曜に間に合いますよね?」……佐々木さん、悪いけど、そこは私、また「火曜深夜」って言うからね、と、心のなかでおわび。

「……火曜は、無理です。私が図面を仕上げたあと、アシスタントの女性2名に、最終の材料費と建設費がそちらのご予算内に収まるかどうか検証させます。それに1日はかかります。」ドイル氏の返答は几帳面で、私は安心感すら覚える。が、佐々木さんにはスケジュールが第一。電気系統に明日と明後日、つまり木曜と金曜が必要、週末を挟んでドイル氏の作業に2日、つまり月曜と火曜、コストの検証に1日……水曜……ロンドンの、水曜……アウトだ。

佐々木さんは腹の底から絞り出すような声で言った:「……そ、そ、そこをなんとか!」

必要なのは気持ちの共有?それとも計算?

え?なにその日本語?と、一瞬、思った。佐々木さんが藁をも掴む思いで発したこの「そこをなんとか」、英語でどう言ったらいい?“Could you please arrange all those somehow?”とか……いや、ダメだ。当たらずといえども遠からず……でも、思いは伝わる?そもそも解決になる?ドイル氏は「いいえ、アレンジできません。」と答えるに決まっている。

2秒ぐらい沈黙した。そしてもう、佐々木さんを見ずに、電話のむこうのドイル氏の顔だけを想像しながら、言ってみた:「ねえドイルさん、ジミーは今日の午後は事務所に来れないの?いま居る現場にさ、すぐ電話してみてよ。」「え……やってはみますが……」「お願いね。そうすればまずは半日、時間が稼げるでしょ。で、ドイルさんが金曜の午後から最終チェックを始めて、土曜日は出勤できない?家族の誕生日とかでなければ、このさい、土曜に仕事してよ。」「はあ、もうこうなったらそうするしかありませんね。」「そうよ、社員に週末出勤させたら休日手当を払わなきゃならないけど、社長のあなたが働くぶんには超過コストにならないでしょ。いずれにしたって、期限に遅れて日本側に違約金を払うよりいいわよ。」「おっしゃる通りです。」「そうすれば週明けから女の子たちにバトンタッチできるし、万が一なにかで手間取っても、火曜の深夜には余裕で間に合うんじゃない?」「そうですね。ええ……わかりました、そうしましょう。」「ありがとう。じゃ、この通話が終わったらすぐにジミーに電話してね。彼、携帯、持ってるわよね?」「ええ、持っています、大丈夫です。」

と、ここまでの話をして、「佐々木さん、なんとか水曜の朝イチに間に合うそうです。」と伝えた。佐々木さん、キョトンとして、「あのう……いま、何曜日だとか電話がどうとか、いろいろおっしゃっていましたが、いったいなにをどう通訳されてたんですか?」と聞いてきた。「え?あなたがおっしゃった『そこをなんとか。』を英語にしただけです。」と答える私。「……それが……あんなに長い英語になるんですか?」「ええ、なるんです。」

「信頼」ってどういうことなのかな

日本語は、どうも、具体性と論理性に重きを置いていることばではないらしい。私には、各言語の特性を学究的に論じることはできない。ただ、実際にそれを自分の商売道具にしていると、ときどき「あれっ?」と思う。日本人同士なら、A氏が「そこをなんとか。」と言い、それをうけてB氏が「じゃ、なんとか考えましょう。」で、会話が成り立つ。A氏がなにを要求しているのか、その具体的な内容までを、じつはB氏は把握または想定していて、そのうえで「あなたの状況を好転させるために、私にできることはあるので、それをする意思はあります。」と答えているのです。でも西欧文化圏の人たちは、要求があるのなら具体的に伝えないと、それが見えない。別の言い方をすれば、要求することを失礼ともやりすぎとも思わない。ダメならダメ、と答えるだけだ。要求の内容が具体的に伝わってから、自分がそれに応えられるか否かを考え始め、そして大抵の場合、できることはやろうとする。

さてこの電話会議の通訳では「直訳・あえてせず」の場面が多々ありましたが、ありがたいことに、佐々木さんの勤める代理店さんは当時の相場よりも少し高めの代金をくださいました……ことば屋が推奨する規格外の商品を、幸いにしてお客さんが気に入ってくれたケースです。そしてその後しばらくして、佐々木さんからお便りがありました。その年の9月から1年間会社を休職してアメリカの大学に留学することにしたのだそうです。このお知らせに、私自身も広い世界に飛び出していくような爽快な気持ちになったのを、今でもよく覚えています。


記事を書いた人:高橋美佐(たかはし みさ)
フリーランス通訳、コーディネーター。
東京都出身。大学での専攻はフランス文学。
ヨーロッパと日本のビジネス、文化交流の橋渡し役として、すでに20年。
経験に基づきながら「心をつなぐために、ことばができること」を考えます。これまでも、これからも。

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