2005.04.01 著者のコラム 日本語を知る・磨く ことばの表記の教科書佐竹秀雄 先日、某テレビ局からある番組への出演依頼の電話がかかってきました。日本語ブームなので、敬語について正誤の問題を取り上げたいとのこと。依頼してきた人は私に言いました。「番組にご出演していただきたいのですが」と。 私は、都合がつかないのでと丁重にお断りいたしました。断りながら、その人がなぜ「ご出演していただく」と言ったのだろうか、と考えていました。 「ご出演する」は「ご○○する」という謙譲語の形式による表現です。つまり、テレビ局に対して私がへりくだった立場で出演するようにと、言われたことになります。もちろん、言った当人にはそういうつもりはなかったことでしょう。「出演していただきたい」で十分なのに、より丁寧に言うつもりでわざわざ「ご」を付けてしまい、結果的にミスを犯してしまったのです。いわば善意からミスをしたようなものです。 しかし、敬語の正誤を扱う番組にかかわる人間の敬語の使い方があやしいとなれば、その番組への出演はためらわれます。そこで、お断りをした次第です。テレビ局員の態度が失礼だと思ったから断ったというわけではありません。ただ、当のご本人は、自分の日本語がおかしいから断られたとはまさか思ってはいないでしょうが。 日本語がうまく使えないために仕事上で損をしていることは、少なくないと思われます。この例のように、自分の日本語のミスに気づかないまま、知らず知らずのうちに損をしていることもなくはないでしょう。 このようなミスに対して、「正しい日本語を知らないからいけないのだ」と考える方もいらっしゃるかもしれませんが、そもそも正しい日本語とはどういうものでしょうか。日本語に限りませんが、ことばは変化するものです。以前は正しくなかったことが正しくなることも皆無ではありません。また、正しい表現は唯一ではないのが普通です。正しくても適切でない表現もあります。例えば、依頼の場面で、正しくてもそっけない表現をしたために断られることもあります。さらには、表現は間違っていないけれど相手にとって不愉快な表現を使ってしまったために、人間関係が悪くなることもあります。 私たちがことばを使うのは「正しい日本語を使う」ためではありません。情報を伝達するため、他人を説得するため、自分の正当性を訴えるためなど、なんらかの目的を果たすためです。そこで大事なのは、その目的を達成するために、いかにことばを使うかのはずです。 したがって、ことばは正しければいいというものでもないはずです。ことばというものが、どのような働きをもち、使い方によってどのような効果をもたらすかといった、ことばのメカニズムを知って、それをうまく活用することこそが大切なのだと考えられます。 このような考えに立った日本語の本が、「日本語を知る・磨くシリーズ」なのです。日本語を客観的に分析し、そのメカニズムを明らかにしようという立場から書きました。私は、ことばの正誤などというちっぽけな問題ではなく、日本語というおもしろい道具をどのように使えば、便利であり、また、多くの人が幸せになれるかという問題を考えたいと思います。日本語には人や社会を動かす力があると信じていますし、その力のありようを解明したいのです。そして、そのことばの力の解明に一歩でも近づくときのワクワクする気分を、みなさんにも味わっていただきたいと考えています。新たな気持ちで、日本語を勉強してみませんか。 関連書籍 ことばの表記の教科書 漢字、仮名、句読点の使い分けなど、表記について体系的に解説。 佐竹秀雄、佐竹久仁子日本語