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CDBOOKドイツ語会話パーフェクトブック
滝田佳奈子

写真:CDBOOKドイツ語会話パーフェクトブック

 語学の専門家・・・というと、帰国子女でバイリンガルか、成績優秀な文学少女だったか、または破天荒でユニークな文学青年か、ちょっと周りを見回すとだいたいどれかに該当しそうだ。が、私はそのどれでもない。単なるミーハーだったからだ。
 小学校高学年の誕生日に親に何がほしいか聞かれた。で、同級生が何人か所属していた児童合唱団のレコードを望んだ。いっしょに店に行き物色していると、親が「こちらの方がいい。世界的に有名だから」と言ってウィーン少年合唱団のレコードを勧め、私は好奇心から同意した。それからすっかり天使の歌声のとりこになった。レコードはすりきれるほど聴き、公演にも行った。彼らと友だちになりたいと思った。ファンレターを出したくて調べた。ウィーンはオーストリアという国にある。初めはてっきり公用語はオーストリア語だろうと思ったが、ドイツ語だと判明した。(プロになりウィーンの男性と結婚した今、あれはドイツ語とは違いすぎる、やっぱりオーストリア語だったのだと痛感している。)中学生になっていた私は、学校でドイツ語を習い始めたと自慢した先輩の高校生に手紙のドイツ語訳を頼み、高校生は教師に依頼し、かくて私は高校教師の作成してくれたファンレターを団員に出しまくった。かなりの確率で返事が来た。有頂天になった。が、たいへんなのはそれからだった。どうしても自分で読みたい、何が書いてあるのか知りたい。急いで独和辞典を買って、一語一語引いてみた。sがどこに出ているのかも、ウムラウト(aou)の引き方も知らなかった。変化している動詞や形容詞を不定詞や原形に戻す必要性など思いも及ばなかったし、第一手紙には識別不可能な文字もたくさんあった。それでも内容はだいたいわかった(みたいだ)。返事は英語をまぜたり、本やほかの人の手紙の一節を拝借したり、ともかく文通が始まった。高校では自由課目として放課後に第二外国語が履修でき、私は迷わずドイツ語を取った。そうこうするうちに、ペンフレンドの何人かが公演旅行で来日することになった。このくだりは本当は割愛したいのだが、ミーハー時代の頂点なので避けられない。ヨン様ファンに勝るとも劣らぬ「追っかけ」をやってのけたのだ。当時はグループサウンズが主流で、同級生すら首をかしげた。ただ私は団員の親たちに日本での写真や近況を書き送り、10歳そこそこの幼いわが子を地球の裏側に送り出して不安な彼らに感謝された。中には招待してくれる家族もいた。高校2年の夏休みに教諭二人が1カ月のヨーロッパ・ユースホステルの旅を企画し、希望者を連れて行ってくれた。たぶん必死に親を説得し、参加できた。招待はちゃっかり実行し、訪問した8カ国のうちスイス・ドイツ・オーストリアに特に感銘を受けた。片言のドイツ語を話しただけで、驚かれ、ほめられたのが特に気に入った。逆にイギリスではみじめでくやしい思いをしたから。大学での専攻もほぼ決めた。
 その後ある教授に「最近の学生にはモチベーションが欠けているから、専攻選択のオリエンテーションでぜひ君の話をしてくれ」と頼まれたが、「そんなことをしたらすでに決心した学生にも逃げられてしまう」と丁重に辞退した。当時の団員の一人は後に友人に「彼女は自分のためにドイツ語の博士課程に進学したんだ」と言って友人に「ごう慢な発言だ」とたしなめられていたが、あながちウソではなかった。きっかけは彼らだったのだから。ちなみに夫はウィーン生まれのウィーン育ちだが、合唱団員ではなかった。それどころかかなりのオンチである。また、今回書かせていただいた本は「ドイツ語会話」という題名だが、手紙にもメールにも、例えばファンレターにも使える。なんせ経験者が語るのだから信じてほしい。

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