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  • 著者のコラム

ユークリッド幾何学を考える
溝上武實

写真:ユークリッド幾何学を考える

Q 「この本を書かれたきっかけはなんですか」
 
A 「われわれは、小学校に入学以来これまで学校教育の中で図形について学んできました。ユークリッド幾何学がまさにそれです。これはユークリッドの書いた『幾何学原論』が基になっています。
 しかし、この原論には光と影があります。
 この光と影に焦点をあてて、今後この最大の古典とも言うべき原論に、どう向き合えばよいかを考えてもらう一助になればと思い、企画しました。」
 
Q 「その影の部分とはどのようなものですか。」
 
A 「いくつか挙げられます。第1に挙げるべきは、ユークリッドは『無定義語』を準備しなかったということです。幾何学体系の中では、全ての言葉をその系の中で定義することはできません。その代表格が“点”と“直線”です。これらは『空白』でなければならないのです。
 確かにユークリッドは原論第1巻で点、直線の定義を与えてはいます。ですが、これは直感的なもので、厳密な意味での定義ではないのです。その証拠に、皆さんが点とは何であるか、直線とは何であるかと子供に聞かれたら、きっと後ずさりすることになるでしょう。そして結局は、『見ての通りこんなものなんだ』といわざるを得ません。それは子供の未熟さでもって諦めさせるようなことにならざるを得ないのです。」
 
Q 「点や直線が定義されない空白の文字であるとすれば、それでもって述べる幾何学は無意味なものではありませんか。」
 
A 「そういう可能性があります。皆さんが学んできている学校数学の幾何学も、根底から崩壊しかねないのです。『夢まぼろし』になりかねないのです。
 そこでこの本の出番となります。この本ではそのようなテーマについて対話を連ねています。そして、このような幾何学の存在を知らなければ、永遠に夢まぼろしの幾何学にすがりついたまま一生を終えてしまうのです。それは窮屈なことではありませんか。」
 
Q 「それでは光の部分はどのようなものですか。」
 
A 「原論が現代の数学書と変わらぬスタイルをとっていることでしょう。中でも、わたしが強調するのは、『公準』の設定です。たとえば、公準1,2でユークリッドは、任意の2点を結ぶ直線は描けるとしています。これはあなた方からすると極めて自然で明らかなことのように思えるはずです。誤解なきよういっておきますが、これは“明らかであるからこう設定している”のではないのです。
 それとは逆に、われわれ有限なる人間には直線は描けないのです。また描けた人もこの世にいないのです。無限に伸びている線を想像することはできます。想像することができるものは存在するとみなすというのは、直感としては数学じみています。ですが、現代数学の構造はそのような想像にゆだねることは絶対にないのです。ユークリッドはこのようなわれわれの守備範囲をはっきりと認めたうえで、公準においてこれを明確に保証しているのです。すなわち、不可能なるが故にです。
 これらの公準は、まさに幾何学を、制約の多い人間の精神を超えた、全知全能の絶対者の立場でやりなさいと宣言しているのです。つまり、形而下ではなく形而上学としての幾何学の構成です。」
 
Q 「聞いていると、人間性の有限から無限なるものへの開放のように聞こえますが。」
 
A 「まさにその通りで、この本全体を通した私の視点でもあるのです。そしてこのような思索を重ねることが、あなた自身を膨らませる真の教養というべきものではないでしょうか。」

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