2008.04.15 著者のコラム 漢文が読めるようになる幸重敬郎 「馬」を日常で見かけることはほとんどなくなりました。競馬場に足しげく通っている人も実際に馬に手を触れることはありませんね。ということで、馬に乗ってみたくて乗馬クラブで、少しだけ馬に乗ってみました。この乗馬クラブは九州・福岡の海岸近くにあって、砂浜を走らせる爽快感は最高です。 「馬」に乗るという技術の発明は画期的なものであったはずです。チンギス=ハーンが世界帝国を建国できたのも馬を駆使したおかげです。 人類が「騎馬」という形で馬を使うようになるのは、今から三千年ぐらい前のようです。いわゆる遊牧騎馬民族がその最初です。その「騎馬」の技術をいち早く取り入れ、騎馬軍団を編成した国こそが他国を侵略して帝国を築く、という歴史が繰り返されます。 中国でも前漢の武帝が遊牧民の「匈奴(きょうど)」に対抗するため、名馬を手に入れるべく、使者を西域に派遣したという話は有名です。 もちろん馬は戦略上必要なだけではなく、人々の生活になくてはならないものとなります。物資の運搬や情報伝達の手段としてこの三千年の間使われ続けます。 自動車というものが発明されて一般に使われるようになるまでは馬が交通の主役だったわけです。わが国でも六、七十年前までは、道ばたに馬糞がころがっているなどいう風景があちらこちらで見られたものです。といっても私はそんな年齢でもないので受け売りで申し訳ないですが。 「馬」に実際に乗ってみて驚くのは、自分のような初心者のいうことをちゃんと聞いてくれることです。それは馬がきちんと調教されているおかげです。その調教という技術一つにしても、三千年も前から長い年月かけて培われてきたものです。調教と同時に「ハミ」や「タヅナ」「クラ」「アブミ」などの発明もありました。このような発明や技術のうえで馬に騎乗しています。馬に乗っているということはその歴史の上に乗っているようなものです。 私は漢文の講師です。昔の中国人が書いた文章を日本語として読む「訓読」という技術も長い年月かけて培われてきたものです。奈良時代の文献などには紙の上をひっかいてくぼみをつけた訓点もみられます。 古代の日本人にとって遣隋使や遣唐使が持ち帰る文献は宝の山だったでしょう。それは当時世界最先端の学問や思想、制度や技術を記したものだったからです。この宝を何とか自分たちのものにしようとして「訓読」という方法を使い始めたのでしょう。「訓読」の技術が磨かれていくうちに、漢語表現がそのまま日本語の中で使われるようになり、今日でも不可欠になってしまったのです。 競馬は馬だけが走っているのではありません。人が馬に乗って走る「騎馬」のレースです。競馬は約三千年にわたる「騎馬」の歴史を楽しんでいるといえるかもしれません。 漢文訓読の歴史は約千三百年です。この訓読の方法を使って漢文を読んでみてください。馬に実際に乗ることはなかなかできませんが、漢文は訓読の方法を身につければ自分で乗りこなせます。ぜひ訓読の歴史を思いながら自分で読める快感を味わってください。 関連書籍 漢文が読めるようになる 漢文を愉しむ―そして、日本語を磨く 幸重敬郎漢文