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  • 著者のコラム

格言で学ぶラテン語 #3

私は人間である。
Homo sum.
ホモー・スム
  テレンティウス 『自虐者』

著者 山下太郎

 ラテン語は格言の宝庫です。格言は浜辺で見つける貝殻のようなもので、格言に親しむことは、その貝殻を眺めながら目の前に広がる海に思いをはせるのと似ています。ラテン語の海とは、ウェルギリウスやキケローをはじめとする二千年前のローマの古典作品の数々です。ひとつ一つの格言を丁寧に読み解くことで、背後に横たわるヨーロッパ文学の母胎(マトリックス)に思いをはせていただけたらと願います。

 ローマの喜劇作家テレンティウスの作品に出てくる台詞です。お節介な隣人がとことん他人の世話を焼き、なぜそこまで首を突っ込むのか?という問われて、「ホモー・スム」(私は人間である)と答えます。「人間に関わることで自分に無関係なものは何一つない」(Hūmānī nīl ā mē aliēnum putō.)という言葉がこれに続きます。私は人間だから他人の悩みごとや苦しみを放っておけないんだ、というニュアンスです。

 この言葉に深い人間愛を読み取ったのがローマの哲人セネカです。彼は書簡の中で、「私は人間である」の句を引用し、この言葉をいつも胸に刻み、口に出すべし、と述べました。セネカによれば、人間社会は石組みのアーチのようなもので、石同士が支え合わないとアーチは崩れます。助け合いの精神こそ人間性の証、というのがこの哲人の主張でした。その後、表題の言葉は多くの人々の座右の銘とされ、「ホモー・スム」とつぶやくだけで博愛精神の宣言とみなされる、そんな文化的伝統が西洋社会にできあがりました。ゲーテもマルクスもこの言葉がお気に入りでした。

 タイトルの日本語訳を見て、相田みつを氏の「人間だもの」を思い出す人もいるでしょう。日本語の「人間」が「男」も「女」も含むように、「ホモー・スム」のホモ―は男性名詞としても女性名詞としても用いられる「共性」または「通性」と訳されるcommon genderです。じっさい、Homō sum.の英訳は、I am a man.でなく、I am a human being.と訳すのが一般的です。テレンティウスの言葉は、男性も女性も等しく口にすることができる点で、時代を超えて多くの人に愛されてきたのだと思います。

 「ホモー・スム」はたった二語からなる言葉ですが、文法的につまづきやすいポイントが一つあります。それはHomō(人間)が主語ではないという点です。英語に慣れた人にとって、文頭の名詞は主語と思うのが当然です。ところが「ホモー・スム」の場合、ホモ―(人間)は主語ではなく補語です。主語は省略されていて、動詞スムの形から主語の「私は」(ラテン語ではego)を補う必要があります。スムの活用(sum, es, est, sumus, estis, sunt)を知っている人には自明だからあえて省くわけです。

 かりに主語のegoを補い、英語の語順通りに単語を並べると、Ego sum homō.(私は人間である)となりますが、これはラテン語的ではなく、主語を省き動詞sumで文を終えるHomō sum.がラテン語らしい表現となります。ラテン語を読む際には、英語を初めとする現代語の語順の感覚をいったん忘れる必要があり、その点で現代語が得意な人に落とし穴があります。

【ラテン語解説】

■ Homō:homō,-minis c.(人間)の単数・主格。
■ sum:不規則動詞sum,esse(である)の直説法・現在、1人称単数。
■ Hūmānī:第1・第2変化形容詞 hūmānus,-a,-um(人間的な)の中性・単数・属格(「部分の属格」)。「人間的なもののうちの」。nīlにかかる。
■ nīl=nihil:英語のnothingに相当する中性・単数の不変化名詞、対格。省略された不定法esseの意味上の主語(「対格不定法」)。
■ ā:<奪格>から
■ :1人称単数の人称代名詞、奪格。ā mēで「私から」。
■ aliēnum:第1・第2変化形容詞aliēnus,-a,-um(無縁の)の中性・単数・対格。
■ putō:putō,-āre(考える)の直説法・能動態・現在、1人称単数。


記事を書いた人:山下太郎
ラテン語愛好家。1961年京都市生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程学修退学。専攻は西洋古典文学。京都大学助手、京都工芸繊維大学助教授を経て、現在学校法人北白川学園理事長。北白川幼稚園園長。私塾「山の学校」代表。問い合わせ先 https://aeneis.jp

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