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  • 著者のコラム

映画字幕の舞台裏はこんなに楽しい!

著者 吉田 泉(仏文学者)

最終回

フランス映画とは?

みなさんはフランス映画に対してどんなイメージを持っていますか?ロマンス、ファッション、エレガンス?確かにそういう要素も大いにありますが、私にとっては、フランス映画はなんといってもリアリズムです。つまり、現実らしくないものは映画ではない、とフランス映画は暗に言っていると思います。私が字幕を手がけた往年の名画『巴里の空の下セーヌは流れる』『死刑台のエレベーター』『太陽がいっぱい』『過去を持つ愛情』『情婦マノン』『ヘッドライト』『恐怖の報酬』『北ホテル』『かくも長き不在』などを顧みるとひときわそう感じます。

そこで伝統的にフランス映画には明らかな特徴が出てきます。ハッピーエンドが無いこと、また音楽はあるとしても筋を盛り上げるためには使わないこと、そして殺人の場面は極力描写を抑える、などです。これらはハリウッド映画の対極とも言えます。

リアリズムを基盤として見たとき、普通の生活の中で市井の人々が見せる人間模様は実に魅力的です。ユーモアとペーソス(哀愁)、明るさと暗さ、を一人の人間があわせ持つといった矛盾こそが、人間性の探求を目的とするフランス映画の中心にあるようです。

母語へのこだわり

もう一つは、言うまでもないことですが、フランス映画のセリフにはフランス語独特の表現が満載されるという点です。フランスは国全体として母語を洗練し、不純物を淘汰してきた長い歴史を持っています。またそれを誇りにもしています。

いろいろなことから生じるフランス語と日本語の間の文化上のギャップは、相当なものです。字幕翻訳者の、これまた重要な仕事の一つは、いかにしてこの文化の落差をなるだけ解消して、いかにセリフを自然に見える形で視聴者に提供するか、という点にあります。

驚きのセリフ

『死刑台のエレベーター』はいろんな意味で画期的な映画でしたが、セリフも半端ではありません。これから社長を殺しに行く若い社員が、不倫関係にある社長夫人に電話をしている冒頭シーンのセリフがあります。直訳は「もし僕が君の声を聞けなくなったら、僕は沈黙の国で迷子になるだろうに」。もう唖然としてしまいました。何というまあ凝ったセリフでしょう。日本ではありえない。しかしこれをいかに日本の土壌に合わせるか、やるしかありません。結果、字幕は「その声だけでも連れて行きたい」としましたが、今となっては不満が残ります。この字幕はまだまだ原語のフランス語に引きずられているからです。

もっとも感動した映画

最終回もそろそろ終わりに近づきました。最後になって、逆説的なお話をします。これは私の字幕体験でも、もっとも感動したという映画にも関係します。自身が字幕をやっていて、これまでに一番感動したのは、『誓いの休暇』(1959年ソビエト連邦。グリゴーリ・チュフライ監督。同名のドイツ映画がありますからご注意を)でした。

《この映画のあらすじが以下に数行あります。あらすじを読まないで映画を見たい方は飛ばしてください。》

とても短い映画で、内容は、ある若い兵士が戦場で手柄を立てた褒美に数日間の休暇をもらい、それを利用して故郷の母に会いに行くという、ただそれだけの筋です。旅の途中で、兵士は様々な人々に出会い、人生を見たり人助けをしたり淡い恋をしたりするものですから、数日の休暇はすぐに過ぎてしまい、お母さんに会ったときにはほんの少ししか時間は残されていません。母の顔を見ただけで彼は戦場にすぐ戻って行きます。映画はそこで終わりですが、最後に画面には「青年は二度と故郷には戻って来なかった」というテロップが流れます。

《あらすじはここまでです。》

屋根付きの路地

感動は「雑草」のように強い?

私はロシア語ができませんから、字幕制作のためには日本語の直訳をもらいます。それを、映像を見ながら字幕らしくしていくわけです。その作業を毎晩深夜に自宅でやりながら、何度「泣きむせんだ」ことでしょう。今夜こそ泣かないぞ、と決断しながら、それでも別のシーンが琴線に触れると毎晩グッときてしまうのです。

私にはロシア語の微妙なニュアンスなど分かりません。それなのに、なぜ?このとき私は言語の「雑草性」みたいなものを感じました、つまり「感動はことばを選ばない」のではないか、と。映画であれ、字幕であれ、人の創った作品は手を離れて独り歩きしていき、本人もそれを止めることはできないのかもしれません。そこにこそ様々な芸術作品の存在意義の一端もあるのでしょう。

フランス映画の夢を見つつ

今度こそ最後の最後です。字幕にまつわる、ありそうにない実話を一つ。ある秋の夜のこと、私はパリの街角を歩いていました。翌日は帰国の予定です。帰ったらフランス映画『勝手にしやがれ』(1959年ジャン=リュック・ゴダール監督)を授業で扱うことになっています(年に2回、ほぼ20年は繰り返し見てきました)。そのことを考えながら歩いていると、何とその映画の主役、かつての超人気スター、ジャン=ポール・ベルモンド氏が目の前にいるではありませんか!驚きでした。彼は取り巻きを何人か連れてレストランから出てきたところでした。脚が悪いらしく、引きずっています。有名人に近寄って話しかける趣味の無い私ですがこの時ばかりは、つい声をかけました。

Vous êtes Monsieur Jean-Paul BELMONDO, n’est-ce pas?
(あなたはベルモンドさんですよね?)
― Oui.
(当たり)
Au Japon on aime beaucoup vos films.
(あなたの映画は日本でもとても人気がありますよ)
― Oui, merci.
(そりゃいいね)

ただこれだけの会話でしたが、私にとっては不思議な出来事でした。同時にまだお元気そうなのを知ってとても嬉しい気持ちになりました。字幕のお導きです。

川の横の階段

さて、全4回、お付き合いいただき大変ありがとうございました。またどこかでお会いできることを祈っています。

著者、吉田泉

記事を書いた人:吉田泉(よしだ いずみ)
富山県生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。
パリ第3大学大学院留学文学修士取得。
東京大学大学院仏文学専門課程博士課程修了。
立教大学、日本女子大学講師を経て高岡法科大学助教授。後に教授。
現在、富山県芸術文化協会名誉会長を務める。
NHKテレビ『世界名画劇場』にてフランス映画の字幕翻訳を長年担当。主なものとして「巴里の空の下セーヌは流れる」「北ホテル」「死刑台のエレベーター」「太陽がいっぱい」「恐怖の報酬」「かくも長き不在」など。

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