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  • 著者のコラム

「英語は道具」ではありません 在米日本人英語講師が語る「英語と米文化」 #3

第3回:誰かと意見交換をする時に、気をつけて欲しいこと

著者 ミツイ直子

(前回までの記事はこちら)
第1回:英語を学んでいるあなたに、お願いしたいこと
第2回:「多様性を認める」に挑戦したいあなたに、お薦めしたいこと

恐ろしいアメリカの銃事情

日本に暮らしている皆さんがニュースで「銃乱射事件」を目にする時は、大人数の被害者が出た時のみであり、実は世界各地ではそれ以上に沢山の「銃乱射事件」が起きています。例えばNHKウェブサイトの「『銃乱射』ニュース一覧(https://www3.nhk.or.jp/news/word/0000768.html)」を見ると一目瞭然。きっと「こんなことも起きていたのか!」と驚かれると思います。

アメリカでは4人以上の被害者(怪我・死亡問わず)が出た時に「銃乱射事件」と認識されるわけですが、例えば2021年にはアメリカ国内だけでも「銃乱射事件」は686件も起きていて、2022年には636件も起きていました(https://everytownresearch.org/mass-shootings-in-america/)。
 
ただ、恐ろしいのは、99%の発砲事件は「銃乱射事件」に該当しないレベルだということ。つまり、私達が注目し問題視する「銃乱射事件」は発砲事件全体を見た時の1%しか占めていないのです。

事実、アメリカでは毎日5人の女性が銃発砲により殺されている計算になるようで、2001年~2012年の間に「親密な関係にあった配偶者・恋人に銃で殺された女性の総数(6410人)」は「イラク・アフガニスタン戦争(2001年10月7日~2015年1月28日)の死亡兵士総数(5364人)」を上回るそうです(https://gun-control.procon.org/)。

アメリカの銃事情についてどう思う?

おそらく多くの方は、こうした話を聞くと「銃を禁止すれば良い」「どうして銃規制をしないのか?」と考えるのではないでしょうか。実は、多くのアメリカ人も同じことを感じています。例えば、イリノイ州立大学の研究によると(https://today.uic.edu/study-examines-gun-policy-preferences-across-racial-groups/)、74%の黒人、61%のラテン系アメリカ人(南アメリカ出身者、もしくはそうした祖先を持つ人達)、そして55%の白人が「銃を禁止すべきだ」と考えていることが分かりました。そして「銃購入記録を政府が管理すべきだ」と考える黒人は86%、ラテン系アメリカ人は78%、そして白人は62%だったそうです。
 
更に、Pew Research Centerの研究によると(https://www.pewresearch.org/politics/2021/04/20/amid-a-series-of-mass-shootings-in-the-u-s-gun-policy-remains-deeply-divisive/)、銃を禁止するとまではいかなくても「せめて銃に関する法律を厳しくすべきだ」と主張したのは75%の黒人、72%のアジア系アメリカ人、65%のヒスパニック系アメリカ人(スペイン語を話す、もしくはそうした祖先を持つ人達)、そして45%の白人でした。
また、こうした「銃規制」に対する意見は支持政党によっても違いが顕著に出ています。2018年の情報ではありますが、CNNによると(https://www.cnn.co.jp/usa/35115366.html)民主党(移民や都市部に住む人達に支持されることが多い)支持者の93%はより厳しい銃規制を求めていたそうですが、同意見を持つ共和党(保守的だと言われ、田舎に住む人達に支持されることが多い)支持者はたったの49%だったそうです。

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こうしてみると、多くの日本人が抱く「銃禁止」や「銃規制」に対する想いは、割と多くのアメリカ人もが持ち合わせている想いであることが分かります。では、どうしてアメリカ政府は「銃禁止」や「銃規制」に踏み切らないのでしょうか?

一般的には「これから銃を禁止したり、銃に関する法律を厳しくしたとしても、既に出回っている銃を全回収することは不可能だ。そうしたら、既に銃を持っている人達だけが銃を持つことになり、逆に危険な社会を作りあげてしまうだろう」と言われています。また、アメリカの政治家の多くが銃賛成派や関連団体から活動支援等を受け取っていて、公に銃使用の反対をすることができないのではないかという憶測までもが飛び交うこともあります。
 
それらも可能性としてあるかもしれませんが、私は個人的に、別の2つの理由も大きいと感じています。ただ、日本に住む皆さんにはその2つの理由は「見えづらい」かもしれません。でもその2つの理由を知ると「誰かと意見交換をする時に気をつけるべきこと」が見えてくるので、今回はその2つの理由をご紹介したいと思います。

1つ目の理由:アメリカの「田舎」の暮らしと銃

「銃禁止」や「銃規制」に反対する人達の多くは田舎に住んでいると言われています。実は、それは当然のこと。なぜなら、田舎に住む多くの人達にとって銃は身近な物だし、自分達の身を守るための大切な術でもあるからです。

アメリカの田舎暮らしを描いた洋画や海外ドラマを観たことがある方はご存知でしょうが、アメリカの田舎の多くは住宅間の距離が非常に離れており、最寄りの店舗やサービスまで車で長時間移動をする必要があることが多いのです。モンタナ州の小さな町に住んでいる私の友人は「警察を呼んでも、家に来るまで30分以上かかる」と言っていました。もちろん、場所によっては1時間以上かかってしまうお宅もあるようです。

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そうした場所に住んでいて、例えば強盗がきたら、誰が守ってくれるのでしょうか? そうした場所に住んでいて、例えばクマやコヨーテのような狂暴な野生動物が現れたら、誰が守ってくれるのでしょうか? 自分の身は自分で守らねばなりません。そしてそのためには、銃のような武器が必要となる場合もあるのです。

また、身の安全のためだけに銃を使うわけではありません。用途によって使用する銃の種類は異なりますが、シューティングそのものを娯楽として楽しむ人達もいますし、シカやエルク、イノシシといった野生動物の狩りを楽しむ人達もいます。
 
私がユタ州でホームステイをしていた時に、ホストファミリーがシューティングに連れて行ってくれました。砂漠の真ん中にある岩に「的」を書いた紙を貼り、そこに向かって撃つだけです。手続きも必要なく、お金を払うわけでもありません。いわば「空地」のような場所で地域の人が楽しんでいるだけなのです。実際、その時も「他の人が銃を撃つ時に、的の近くに行ってはいけないよ」という当たり前のことを言われただけでした。その地域に住む人達にとってシューティングというのは、ジョギングや犬の散歩のような「日常的な娯楽・習慣」にしか過ぎないようでした。
  
また、モンタナ州の友人宅に遊びに行った時には(銃で)狩ったばかりのシカの死体を見たことがあります。頭部が切り取られた状態で逆さまに吊られ、食用にするための血抜きが行われていました。お父さんが狩り好きだということで、狩った動物の肉を保管するために、車庫には冷蔵庫が二台置かれていました。今は高齢になったためシューティングに行けないということで、そのお父さんは代わりに牛を飼い、育て、大きくなったら殺して食べる、ということをしているそうです。あくまでも「趣味」として。 

こうして、銃が身近にあったり、銃に助けられたりしている生活を送っている人達からすると「一部の、変な銃の使い方をする人達」のせいで、自分達の自由、娯楽、そして安全性が奪われてしまうことに納得がいくわけがないのです。 

2つ目の理由:アメリカ国民にとって「重い」米国憲法

私が思う「アメリカで銃禁止や銃規制がし難い2つ目の理由」は、アメリカ国民にとって重要度の高い米国憲法の存在です。

アメリカがイギリスから独立する際に米国憲法(Constitution)が作られたわけですが、その憲法の大きな特徴は①政府の権力を制限し、②個人の自由と権利を保護する、ということです。独立のきっかけとなったのは当時のイギリス王の独裁政治ですから、新しく作る国(アメリカ)では①政府の権力を制限し、②個人の自由と権利を保護する、ことにこだわりたかったのも当然のことなのでしょう。
 
米国憲法の主な機能と目的は①政府の構造と権力の制限(三権分立により、権力の集中を防ぐ)、②国民の権利と自由の保護(修正条項(特に最初の10修正条項である権利章典)を通じて国民の基本的な自由と権利を保護している)、③連邦制の確立(連邦政府と州政府の間で権力を分配し、権力の過度な集中を防ぐ)となっています。権力の集中を避けようとしているのが明らかですね。

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そして、②国民の権利と自由の保護のひとつとして「国民が武器を持つ自由」が認められているのです。

“A well regulated Militia, being necessary to the security of a free State, the right of the people to keep and bear Arms, shall not be infringed.”

銃を禁止したり規制したりするということは、米国憲法の②国民の権利と自由の保護に関する法律を変える、ということです。この②国民の権利と自由の保護には「言論の自由」「宗教の自由」「集会の自由」「不当な捜索や逮捕からの保護」などが含まれていますから、そのうちのひとつの「武器の携帯権」を変えるということは、他の権利と自由も変更され得るのではないか? その前例を作ってしまうことになるのではないか? と心配の声も上がっているのです。

多くのアメリカ人が自国に誇りを持っていることは有名です。これは、まだ歴史の浅いこの国を「自分達や自分達の祖先が創り上げた」という意識があるからなのです。当時残虐な振る舞いをしていたイギリス王の政治から離脱し、Government of the people, by the people, for the peopleを創り上げたのは彼らの誇りなのです。政府に権力を握らせ過ぎず、国民に権利と自由を保障する体制をとっていることが彼らの誇りなのです。

それは街中至るところにアメリカの国旗があることや、小学校やテーマパークでも朝一番には国旗が掲げられ、忠誠の言葉(Pledge)を言ったり愛国心を示す歌(Patriot songs)を歌ったりする習慣があることからもよく分かります。
 
我が家でも、子ども達が小学校低学年だった時でさえ、夕食時に家族みんなで「歴代大統領で一番好きなのは誰?」という会話を当たり前にしていました。小さい子ども達でもそれだけ国や歴史や政治に関心があり、そのことについて自分なりの意見を持っているのです。

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在米歴20年を超える私の個人的な肌感としては、アメリカの歴史に詳しく、愛国心が強い人ほど銃禁止や銃規制の反対をしているように思います。そして、逆に、そうしたことに詳しくない移民には銃の反対派が多く、銃禁止や銃規制を求めているように感じます。もちろん、それに該当しないケースもありますが。

自由は義務と責任を伴う

過去に銃発砲の事件が起きた際、全米ライフル協会(National Rifle Association)の責任者が「被害者も武器を持てば良かったんだ」と言ったことがあると聞きました。

そんなことを聞くと「何を言っているの?」「銃を発砲する方が悪い」「どんな理由があれど他人を傷つけて良いわけがない」「そんなことを許していたら銃の撃ちあい、殺し合いになってしまうだけだ」と思う人が多いでしょう。私も、その発言を聞いた時には「信じられないことを言う人だな…」とすごく驚きました。
 
でも、米国憲法で “the right to bear arms” が定められている以上、その見解も決して間違ってはいないのです。自分の身を守るために武器を持つかどうか、というのは自由であり、各々が責任を持って決めれば良いことなのです。

一見安全な街に住んでいたとしても、銃を持ちたい人は持っても良い。
都会に住んでいたとしても田舎に住んでいたとしても、銃を持ちたい人は持っても良い。

何かあった時、自分や周囲の人の身を守りたいのなら、銃を持っても良い。

全ての選択は個人の自由なのです

そうした自由が法律で定められている。それが「自由の国アメリカ」なのです。

小さなガレージから始まったスタートアップが大企業に成長する物語。外国出身のシェフが自分のレストランを開き評判店になる物語。貧しい家庭に生まれながらも教育を通じて自分の人生を変え成功していく物語。音楽や演劇の分野で才能を発揮し無名からスターダムに上り詰めるハリウッドやブロードウェイの物語。そうしたものだけが「自由の国アメリカ」ではないのです。

「自由の国アメリカ」という表現は、国民一人ひとりが自由に選択を行い、同時にその選択に伴う義務と責任を自覚的に全うすることを意味しています。そして、そのうちのひとつが「武器の携帯権」なのです。

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自分の意見を主張したい時、そして人の主張を聞く時に

今回、例として「アメリカの銃事情」について様々な情報をご紹介しましたが、皆さんは、どこまでこうした事情をご存知でしたでしょうか? こうしたアメリカの事情を細かに知ったうえで「銃禁止」や「銃規制」に対する意見を持っていましたか?それとも、単に「銃は怖い」「銃は悪い」「人殺しはダメだ」という感情をベースに「銃禁止」や「銃規制」に対する意見を持っていましたか?
  
偏った情報しかなければ偏った意見になります。
偏った意見しかなければ、大声で主張がしやすくなります。

  
ですから、何かに対して「私はこういう意見です」と堂々と言える時ほど、自分には「見えていないものがあるのかもしれない」と気づくべきなのかもしれません。

人の意見を聞く時も、声高に何かを主張している人の意見ほど批判的にみるべきです。その人は偏った情報しか持っていなさそうか?それとも、その人なりに包括的視点を持ったうえで語ろうとしているのか?例えばSNSで沢山の人に支持されている意見があったとしても、きちんとその内容を批判的にみていくことが必要です。 

偏った情報しかなければ偏った意見になります。
偏った意見しかなければ、大声で主張がしやすくなります。


そして「自分には見えていないことがあるのかもしれない」と思えたら、前回の記事(第2回:「多様性を認める」に挑戦したいあなたに、お薦めしたいこと)でもご紹介した「言語ゲーム(言語活動)」を意識してみてください。自分と異なる主張をしている人達は「どういう言語ゲーム(言語活動)」をプレイしているのだろう?と立ち止まって考えるようにしてみてください。そうすることで、あなたと異なる意見を「その人達の視点から」見ることができるようになりますから。

“I see where you are coming from.” というのは、意見交換をしている時によく使われる英語表現です。ビジネス会議やディベートのようなフォーマルなシーンだけではなく、友達同士でカジュアルに何かについて語っている時にも使われたりします。この表現は「必ずしもあなたの意見に同意するわけではないけど、でもあなたがどうしてそういう意見なのかは理解できるよ」ということを伝えてくれています。ですので、誰かの主張を聞く時には「この表現を使えるような自分でいること」がお薦めです。

自分の意見が、誰かの意見が、偏ったものになっていないか気をつける。
そして、他者の意見は、相手の言語ゲーム(言語活動)を意識したうえで、“I see where you are coming from.”と言えることをゴールとして耳を、心を傾ける。
 
それが、私が「誰かと意見交換をする皆さん」に気をつけてもらいたいこと、お薦めしたいことです。

(次回の記事はこちら)
第4回:英語を使って「異文化交流」をしたい!と望むあなたに、伝えておきたいこと

この記事を書いた人:ミツイ直子
神奈川県生まれ。高校卒業後、単身渡米。州立モンタナ大学にて言語学・英文学・外国語教授法・コミュニケーションスタディーズを学んだ後、カリフォルニア州立大学ロングビーチ校にて社会言語学と人類言語学を学び、修士号を取得。多くの米国駐在員や留学生、海外在住日本人を始めとするハイレベルの英語力を目指す学習者や日本人英語講師に英語を教えている。留学プログラムや英語教材開発事業にも携わった経験を踏まえ、英語講師のカリキュラム作成や教材開発の手助けもおこなっている。現在は家族とカリフォルニア州オレンジ郡に在住。

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